2006年6月号 連載 [硯の海 当世「言の葉」考 第2回]
道を歩いていて、ふと旬の雑草のけなげな美しさに見とれるとき、ああ、少しばかり疲れたかな、と感じるとき、ちょっと悲しさが恋しくなったようなとき、八木重吉の短い詩のことを思う。初めて八木重吉という詩人とクリスタルの輝きのような繊細な詩の存在を友だちが教えてくれたのは15歳、高校1年生のときだった。そのころから半世紀近く、この詩人の作品をふところ深くにしまっておいて、ときどきふところから出しては、戯れてきた。越し方にくらべれば、はるかに短くなった行く末を前にして、いま八木重吉の詩はこれまでと違った音色で響き渡る。 本当のもの どうしてもわからなくなると さびしくてしかたなくなると さびしさの中へ掌をいれ 本当のものにそっとさわってみた くなる 悲しみ かなしみと わたしと 足をからませて たどたどとゆく 草に すわる わたしのまちが ………
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