朝日新聞コラムニスト小池 民男氏

「不易流行」の教養人

2006年6月号 連載 [ひとつの人生]

  • はてなブックマークに追加

 新緑の木の芽が勢いよく空に突き立ち、つつじのつぼみがうっすらと赤く染まる日に一人の新聞記者が亡くなった。霊安室の死に顔は憂鬱から解放されて明晰だった。 その顔は生前原稿を書く前に、椅子に寄りかかり煙草を何本も吸い、何時間も無言で宙をみつめている無心の顔に似かよっていた。その姿をみて、いつか人々は「眠狂四郎」と呼んでいた。だが小池さんはニヒルではなく、人好きであり好きな酒を飲めば憂鬱さが次第に消え、やさしい少年のような笑顔になり議論はとまらなかった。 文章には厳しい人だった。二十数年ほど前に私が学芸部デスクだったとき、家庭面でデパートの続き物をした。彼は当時大阪本社にいたが、小文なのでうっかりして諒承をとらず彼の原稿を書き直して紙面にだした。するとすぐ上京してきた。「この文章は短文でも考えぬいて書いた文です」と抗議された。それが彼との出 ………

ログイン

オンラインサービスをご利用いただくには会員認証が必要です。
IDとパスワードをご入力のうえ、ログインしてください。

FACTA onlineは購読者限定のオンライン会員サービス(無料)です。年間定期購読をご契約の方は「最新号含む過去12号分の記事全文」を閲覧いただけます。オンライン会員登録がお済みでない方はこちらからお手続きください(※オンライン会員サービスの詳細はこちらをご覧ください)。