山一の「墜ちた星」
2006年11月号 連載 [ひとつの人生]
なすすべもなく消えていった山一証券の象徴だった。71歳という年齢は、キヤノンの御手洗冨士夫会長と同じだが、心不全に見舞われて悲運の人生の幕を閉じた。 山一に入社したのは1960年(昭和35年)。証券会社がまだ「株屋」視されていた時代だけに、東大法学部卒の彼は初めからエリートだった。同期生が全国の営業店に散らばる中、いち早く本社に戻され、投資信託部で行平次雄氏と出会う。端正な顔立ちにスリムな体形、明晰な頭脳、決して人前で大きな声は出さない温厚な性格。早くから山一のプリンスとして育てられた。経営企画、商品企画など内務官僚部門を中心に、常に日の当たる場所を歩く。植谷久三社長の秘書役を務め、社長退任後も社内に隠然たる力を保つ植谷氏の後ろ盾を得て、将来を磐石なものにした。 営業経験は、役員前の帝王学として出身地の福岡支店長を務めたくらい。同期の先頭をき ………
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