2006年12月号 連載 [メディアの急所]
功成り名を遂げた経営者の花道とされる日経新聞の「私の履歴書」に、読売新聞グループ本社の代表取締役会長兼主筆の渡辺恒雄氏が登場するらしい。
「履歴書」は日経朝刊の最終面に毎日掲載。1956(昭和31)年3月にスタートして、今年で50周年を迎える。月ごとに1人、年に12人が「履歴書」登壇の栄誉に浴している。
最初の執筆は日本社会党委員長の鈴木茂三郎氏だったが、その後は日経の特質を生かし大物経済人が圧倒的に多い。彩りとして文化人や政治家、芸能人、スポーツ選手、さらには英首相を務めたサッチャー女史ら海外要人も健筆をふるった。しかし、記憶に残る新聞人はいなかった。
ナベツネは1926(大正15)年5月生まれの80歳。読売新聞を発行部数1千万部超の世界一の日刊紙にした大立者で、政界フィクサー、ご意見番、読売巨人軍オーナー、球界のドン……。その雷名を知らぬものはない。ナベツネ担ぎ出しを誰が策したかは不明だが、言論人として最後の花道でペンをふるいたいナベツネと、話題沸騰の筆者探しに汲々とする日経の利害が見事に一致したようだ。あるいはそろそろご引退願いたい読売幹部の奥の手か。
渡辺氏は東大在学中に共産党に入党したのち除名され、読売入社後は政治記者として、大野伴睦、中曽根康弘、児玉誉士夫の各氏らと昵懇だった。最近では主筆として読売本紙の「検証・戦争責任」企画を指揮し、朝日新聞の月刊誌「論座」に出張って小泉首相の靖国参拝を非難している。戦後保守政治の裏面史がどこまで明かされるか。ナベツネさんの履歴書が待ち遠しい。