小泉と安倍は似て非なるもの! 怪腕秘書官が宣戦布告。
2007年1月号 POLITICS
「小泉は立場上、復党に反対と言えない。抵抗勢力を協力勢力に変えるって言い続けてきたんだしね。だけど、俺は絶対に反対だからな」
前首席首相秘書官・飯島勲がついに宣戦布告したのは11月27日だった。首相・安倍晋三は、05年の郵政民営化法案への「造反組」のうち、現職の衆院議員11人の自民党復党を決断した。衆院を解散して造反組に「刺客」を放ち、総選挙後には離党に追いやった張本人の前首相・小泉純一郎には仁義を切らねばならなかった。
安倍の命で、腹心の首席秘書官・井上義行は前任者の飯島に電話を入れた。小泉が安倍を官房長官に据え、後継者として帝王学を施した前政権最後の1年、飯島も井上に首席秘書官の心得を授け、目をかけてきた。権力の移行から2カ月。飯島は打って変わって電話口の井上に「復党反対」とすごんで見せた。続く安倍自らの電話を受けた小泉は「あなたの方針は分かった」と言葉少なに応じた。権力の座を譲り渡した以上、安倍の決断に今さら口は挟まない半面、冷徹に突き放した瞬間でもあった。
復党騒動で内閣支持率は急降下。焦った安倍は道路特定財源の一般財源化で大号令をかけたが、党内の空気は冷たく、火中の栗を拾う政策決定の司令塔も不在。たちまち本格的な改革を先送りする醜態をさらした。ふらつく安倍に12月8日、飯島は二の矢を放った。5年5カ月の小泉時代の首相官邸の内幕を回顧した著書『小泉官邸秘録』(日本経済新聞社)を早くも上梓したのである。
安倍の前途に黄信号が点滅、誰もが小泉官邸を思い返し、安倍の指導力との比較と検証を始めようとしたまさにそのタイミング。「年明け刊行のつもりで準備していたら、嗅ぎつけた日経から緊急出版を迫られて弱った」と飯島は周囲を煙に巻くが、10月に2週間も永田町から消え、潜っていた。早くからの周到な仕掛けを感じさせずにはおかない。
衆院第一議員会館の手狭な小泉事務所で「半畳暮らし」に戻った怪腕秘書。前書きでも「私にとって代議士は小泉純一郎しかいない」と、なお小泉にあけすけな忠誠を捧げてはばからない。飯島備忘録という体裁を取っているが、退陣後はメディアに一切口を閉ざす小泉の承認のもと、本音の代弁者として満を持して打って出たのは疑いない。安倍に微妙な距離を置き始めた小泉・飯島コンビの再始動宣言、とも受け取れる。
読み進むと一層、その感を深くする。「安倍官房副長官(当時)の気配り、度量の広さに感服した」などと一見、安倍への歯の浮くような礼賛の辞が並ぶ。一言も批判めいた表現はない。ただ、行間からはっきりと浮かび上がってくるのは、同じ「官邸主導」を標榜していても、小泉流リーダーシップと安倍の政権運営はおよそ「似て非なるもの」だという強烈な告発のメッセージである。
飯島は官邸主導の要諦として「政治がいかに官僚組織を押さえ、使いこなすかということこそが問題」だと繰り返す。郵政も道路公団も民営化、行財政改革を断行した小泉だが、大ナタを嫌がる官僚機構を敵視するより、アメとムチで「使いこなす」のに腐心したと言う。確かに「自民党をぶっ壊す」とは宣言したが、幹事長・中川秀直や竹中平蔵流の霞が関解体路線とは一線を画してきた。
巻末には飯島に加えて16人の男の肖像が並ぶ。丹呉泰健(財務省理財局長)ら小泉に仕えた事務担当の秘書官延べ5人。そして香取照幸(厚労省雇用均等・児童家庭局総務課長)、末松広行(農水省環境政策課長)ら秘書官のいない省庁から、飯島が35年かけて築いた霞が関人脈をたぐって選抜した延べ11人の特命参事官。小泉を支え抜いたこの「チーム飯島」こそ『秘録』の主役であり、安倍にない資産と言いたげだ。
首相秘書官は財務、外務、経済産業、警察の4省庁が審議官級のエリートを送り込む。飯島は総務、厚生労働、国土交通、文部科学、防衛の5省庁(後に文科省に代え農水省)からも課長級を官邸に常駐させた。この特命参事官が医療制度改革、自衛隊イラク派遣、BSE(牛海綿状脳症)事件などで官邸と出身省庁をダイレクトに連結し、小泉・飯島コンビが官僚機構をじわじわと官邸に引き寄せ操縦していった舞台裏を『秘録』は活写する。
安倍も外形的には似た試みをしている。総裁選出直前の9月中旬、新政権の首相直属スタッフとして霞が関から10人の官僚を公募した。これが飯島と特命参事官たちを「小泉継承なんて大ウソだ」と激怒させた。安倍に成り代わって応募者を面接した井上がこう言い放ったからだ。「安倍官邸では『役所のスパイ』は要らない。親元に戻る橋を焼き切るくらいの覚悟で来てほしい」。
特命参事官たちは小泉・飯島コンビと出身省庁の板挟みで苦闘する日々だった。親元の情報を集めて小泉に報告する一方、小泉の意思を肌身で感じ、親元に浸透させる役目も担った。スパイ呼ばわりならあっぱれな「二重スパイ」とたたえるべき綱渡りだった。飯島は記す。
「黒衣に徹し、出身省庁ではなく総理に忠誠を尽くすことのできる人材、同時に総理の意向を十分体して出身官庁を押さえきることのできる実力を備えた人材でなければならない」
安倍と井上は公募スタッフに出身省庁の押さえ役を担わせる発想はゼロ。専門分野にお構いなくてんでバラバラな任務に就けた。官のプロフェッショナリズムなど脇に追いやり、「政の使用人」としか見ない。安倍は「霞が関のドン」と言われる事務担当の官房副長官だった二橋正弘を断りなく更迭、飯島の怒りの炎に油を注いだ。飯島は小泉退陣と同時に「安倍政権は小泉政権とはまるで違う。引き継ぎを守っていないじゃないか」と公言し始めたのだ。
「チーム飯島」を「役所のスパイ」と切って捨てた単線思考そのままに、安倍官邸は大臣同伴でない限り、次官以下の官僚に会わないとのお触れを出した。官房長官・塩崎恭久も「決めるのは政治。官僚機構はそれを執行するだけ」が口癖。嬉々として「使用人」に甘んじる警察庁長官・漆間巌と外務次官・谷内正太郎だけは木戸御免だが、官を使いこなす視点を欠いた官邸に霞が関から上がる情報は質量とも致命的に落ちた。
飯島は、安倍が官邸主導の主役とした首相補佐官も「活用が難しい」と指摘する。「職責は総理を支えることに尽きる」から「黒衣に徹してもらわなければならない」。従って「自らの名前で活動することをやめ」「職業生活を犠牲にしてでも」首相に奉公できる人材しか任命できないと言う。要は、目立たないと仕事にならない国会議員を黒衣にして「アベレンジャー」とはしゃぐなどトンチンカンの極みだ、という揶揄だ。
『秘録』で食い足りないのは外交だ。例えば02年9月の北朝鮮電撃訪問の知られざる仕掛けをこうほのめかす。「02年8月中旬、小泉総理から金正日総書記に一通の親書が届けられた」。新事実に触れながら、核心部分の保秘は解いていない。小泉が自分の出番が今後もありうる、と飯島の筆を抑えさせた気配もある。変人と怪腕、この奇妙な主従からまだ当分、目を離せそうもない。(敬称略)