藤沢武夫<中>

私のロマンチシズム

2007年9月号 連載 [第二の男]

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ホンダを創った二人の男に共通する大きな要素は、貧しさによる屈辱や無念の思いを、ヒューマニズムに昇華させたことである。鍛冶屋の息子だった本田宗一郎は、金持の隣家で五月人形を見ようとして「お前みたいな汚い子は来ちゃいけない」と追い返された。「金によって人を差別するということは絶対に排撃する」「誰でも平等でなければならぬ」という信念の根源だ。藤沢武夫の父秀四郎は結城で代々続いた医家の生まれだが、祖父が早死にして廃業。苦労した父は、事業に失敗して上京する。藤沢が生まれたのは、1910(明治43)年11月10日、東京・小石川区(現文京区)、伝通院のそばだ。父は映画館で上映するスライド広告会社を興す。小学生時代は裕福だったが、私立京華中学に入学した年の関東大震災で会社は焼失。その後、映画館を経営するが倒産する。藤沢は、腕白少年の本田とは反対に、体は大きいが病 ………

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