映画『最高の人生の見つけ方』
2008年7月号
連載 [IMAGE Review]
by μ
監督:ロブ・ライナー/脚本:ジャスティン・ザッカム/主演:ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン (配給:ワーナー エンターテイメント ジャパン)
病人は鏡で自分の顔を凝視する。瀕死であれば、なおさらだ。この映画の主演、ジャック・ニコルソン(71)は、前作の『ディパーテッド』で首を怪我して入院したらしい。その経験からこの映画では、化学療法の嘔吐のあと鏡に語りかけるシーンを自ら提案したという。いつもそうだが、彼の演技は半ば地、半ば狂気である。
誰しも他人事ではない。人差し指にパルスオキシメーターを挟み、鼻に酸素カニューラをぶらさげる体験はつい最近、評者もしたばかりだ。病院チェーンの辣腕経営者が末期ガンを宣告されて、自分の病院に入院したものの、自ら定めた「1部屋2ベッド、例外なし」のコスト節約原則に逆らえず、渋々相部屋に入る場面設定からして笑える。散々悪態をついたあげく、隣のベッドに寝ている黒人自動車修理工――モーガン・フリーマン(71)に尋ねるのだ。
「おまえはここで何してる?」
「生きるために戦ってる。あんたは?」
脚本は『世界最速のインディアン』を書いたジャスティン・ザッカム、監督も『スタンド・バイ・ミー』のロブ・ライナーだけに、面白うてやがて哀しき笑いのツボを心得ている。それにしてもこの邦題、何とかならんのか。原題の「バケット・リスト」はkick the bucket(くたばる)から来ていて「死ぬまでにしたいこと」を列挙したリストのことだ。映画評でネタバレは厳禁だが、配給会社の罪は万死に値する。
闘病などくそくらえと病棟を飛び出し、スカイダイビングやスポーツカー、刺青に美食、アフリカのサファリからタージマハルまで、世界を漫遊する珍道中は、まさにハイデッガーの「終局に向かう存在」(zu-Ende-Sein)にほかならない。「死ぬ日を知りたいかと聞かれたら、96%の人はノーと答える。自分は残る4%だと思っていた。でも違った」という作中のつぶやきは「現存在がある限り、不断の未済が現存在に属している」という『存在と時間』の啓示そのものに聞こえる。
誰だって死ぬ。このありきたりだが抗し難い道行きをストーリーに仕立てた“末期もの”は珍しくない。どれも暗いが、手練のニコルソンとフリーマンが、死の前で戯れるこの漫才は掛け値なしに笑える。リストの一項に「泣くほど笑うこと」がある。演技で最も難しい笑いだが、コピ・ルアクのジョークに二人が見せる抱腹絶倒は素晴らしい。涙が溢れてくるのは観客だろう。ハリウッド映画の向日性と奇跡がここにある。
死期を同じくする二人組。その没後と生前の交錯。映画の冒頭と最後でフリーマンの独白が流れる。
「5月に彼は死んだ。日曜の午後、空には雲ひとつなかった。……人生の意味がわかったなどと言うつもりはないが、これだけは言える。彼が死に臨んで目を閉じた瞬間、心が開かれたのだ。私にはわかる」
いい台詞だ。誰もがこわごわと自分のバケット・リストを書き始める。さて、あなたは何を書き入れるか。この映画のリストの筆頭は「荘厳な風景を見る」(witness something with majesty)だった。
だが、誰と? そこにこの映画の美しいフィクションがある。