2008年12月号 連載 [industryの極意 第8回]
日本の自動車メーカーが各国に進出し、現在のような世界的な有名企業となるのは、険しい道のりだった。戦後、駐留軍の方針やそれを引き継いだ政府の政策で、日本メーカーの乗用車への取り組みは制限されていた。それが解除されつつあった1950年代に、日産はオースチン(英)、いすゞはヒルマン(英)、日野はルノー(仏)と組んでCKD方式(部品で輸入、国内で組み立て)の生産を開始した。一部の部品はやがて日本製へと移行させ、乗用車のノウハウを学ぶという簡便法である。トヨタはその方式を採らなかった。当時の日本車の生産は主としてトラックに集中していたが、その中でトヨタが作っていたランドクルーザーのようなジープタイプの車は悪路に強いため、中南米、アフリカ、中近東、アジア等途上国から引き合いがあり、これが日本車の海外進出のはしりとなった。「売れるところに売る」「買いに来た ………
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