演劇『ウルリーケ メアリー スチュアート』
2009年2月号
連載 [IMAGE Review]
by K
原作:エルフリーデ・イェリネク/脚本・演出:川村 毅/出演:濱崎茜、大沼百合子ほか
全共闘世代に“総括”を迫る演劇が、三十数年前のドイツ赤軍と日本の連合赤軍をリンケージした川村毅演出『ウルリーケ メアリー スチュアート』だ。ノーベル文学賞を受賞したオーストリアの女性劇作家エルフリーデ・イェリネクの2006年初演作品が原作で、中学生時代に「あさま山荘」事件のテレビ報道に興奮したという川村が台本に手を加え、資本主義体制の転覆を夢見た赤軍派兵士らを舞台上によみがえらせた。しかし、世界的な金融危機で資本主義経済のほころびが露呈した現在、挫折した過去の革命運動の歴史を“総括”することはどんな意味を持つだろうか。
ドイツ赤軍派のウルリーケ・マインホーフとグードルン・エンスリーンが主要登場人物で、ウルリーケはグードルンに追い詰められ刑務所内で首吊り自殺する。二人の関係はシラーの悲劇『メアリー・スチュアート』を下敷きに、スコットランド女王メアリーと英国エリザベス1世の権力闘争に重ねられる。その反転画像として、日本の赤軍派内の路線対立や、連合赤軍が仲間内で行った総括という名のリンチ殺人が挿入されている。
暗い舞台奥のテレビモニターの前に赤軍派兵士たちがうずくまる。オバマをはじめ現代の国際ニュースが放映されている。頭上には、パレスチナのターバンを巻いた双子の女学生がいる。ベートーベンのピアノソナタ「月光」の曲に乗って影が動き出す。死者たちが墓場から呼び出されたのだろう。そこに登場するホームレスが言う。「奴らは、自分たちの愚かな革命に魅せられ、自分自身の姿を見ることすらできなくなっていた」と。
川村がとらえたテーマの核心は「政治と性」だ。エロスの暴力と、政治的な暴力が絡み合ったエネルギーの放出が、歴史の渦に巻き込まれ、負け犬のような姿でぶざまに宙吊りにされる。そこには過去への感傷にひたる余地も残っていない。最終場で建物解体用の鉄球が下りてきて山荘の壁を打ち破る。表面が月面状の大きな球で、横に揺れると時計の振り子のようだ。しかし、その鉄球は共産主義革命の夢を打ち砕いただけでなく、何十年後に、資本主義体制そのものにも亀裂を入れる「歴史」という振り子だったのだ。
劇場は江東区の染色工場の跡を利用し1983年に開場したベニサン・ピット。運営会社が劇場とスタジオを敷地ごと売却し、急きょ今年1月下旬の閉鎖が決まった。このため『ウルリーケ……』の日本初演となった今回は、ベニサンを拠点に実験的な舞台を上演してきた演劇集団TPT(シアタープロジェクト・東京)のベニサン最後の公演となった。
イェリネクの原作は、行分けがなく長大なモノローグもある難物で、ドイツ語圏でもそのまま演出されるケースは稀だ。かつて「第三エロチカ」を主宰し革命モノも扱った川村は「ベニサンは演劇人の野蛮な部分を引き受けてくれる劇場」として、グードルンと昭和天皇の珍妙な会話、『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』などを参考にした討論形式による連合赤軍の歴史的評価などを見せながら原作を脱構築、“無頼派”の川村らしい実験精神に満ちた舞台となった。