「野村7割経営」に礎
2009年6月号 連載 [ひとつの人生]
兜町がシマと呼ばれたころからの、古き日本の証券業界を象徴する巨星が、これでまたひとり去った。昭和3(1928)年、佐賀県に生まれ、戦後は福岡県で保険の営業マンをしていた。卓越した営業手腕が大和証券福岡支店の幹部の目に留まり、スカウトされる形で大和入りしたのが昭和24年。以来、個人営業部門一筋に歩んだ。初めて支店長となった浅草支店をたちまち全国1位に伸し上げるなど、実績を積み重ねる。土井氏の名を社内に轟かせたのが、本店営業部長時代の血判状事件だ。担当役員のあまりの横暴に腹を据えかねた土井氏は出社を拒否。部下たちも血判状をしたためたが、このメンバーが山下剛正氏(元東証副理事長)、松浦研治氏(元ユニバーサル証券会長)ら、後に土井一派の中核となる。 社長就任は昭和55年、52歳の時だった。菊一岩夫社長の後継有力候補は千野冝時(のぶとき)副社長だったが、たた ………
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