映画『レスラー』
2009年7月号
連載 [IMAGE Review]
by 石
監督:ダーレン・アロノフスキー/出演:ミッキー・ローク、マリサ・トメイほか
見ている途中で、「えっ? こんなものなの」と、拍子抜けするほどシンプルな作品だった。2008年ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、09年度ゴールデングローブ賞主演男優賞、主題歌賞など全世界で54の映画賞受賞といった宣伝文句につい惑わされ、不必要に身構えていたせいだろう。
主演は『ナインハーフ』などで80年代のトップスターだったミッキー・ローク。栄光の全盛期から20年、ドサ回りのリングで細々と稼ぐ中年のプロレスラーを演じる。トレーラーハウスに住み、スーパーでアルバイトをしなければ家賃も払えぬ暮らしで、試合のために長く伸ばしたブロンドヘア、派手なタイツがいっそ、痛々しい。
映画のストーリーを明かすのはルール違反だが、その中年レスラーが心臓発作で倒れ、リングに上がれなくなって孤独にうちひしがれる。なじみのストリッパーに慰めてもらおうと近づき、ずっと離ればなれだった娘に会いに行くが、結局2人からも拒絶され、命がけで元の居場所、プロレスのリングに戻っていく。
説明の必要もないほどの古典的なシンプル・ストーリーだ。唯一目を引くプロレスという特殊な世界については、ドサ回りのレスラーの姿を丁寧に描いて関心を引く。対戦者との事前の段取り打ち合わせ、流血のファイト後の傷だらけの身体の治療、ファンサービスにファンが集まらず、手持ちぶさたに時を過ごすレスラーたち、ふざけながら“凶器”として使う調理器具や文房具を買いあさる姿。
もの珍しいプロレスの舞台裏を見終わると、病気で働けなくなった中年男の孤独な世界が始まる。小説や舞台、映画で何度も繰り返されたテーマであり、思いがけない展開もないし、新しい解決策が示されるわけでもない。
気の短い観客なら席を立つところだが、それを押しとどめるのは、ミッキー・ロークのみごとな演技である。
久しぶりに会う娘におずおずと話しかける自信のない笑顔、ストリッパーをバーに誘い、ダンスではしゃぐ和らいだ表情、彼女が止めるにもかかわらず、車に乗って再び試合に向かう厳しい横顔。
リュミエール兄弟が最初の映画を公開してから110年余。新たな第八芸術、あるいは第七芸術と呼ばれた映画は題材、ロケ地、脚本、編集、演技方法などから、特殊撮影、CG合成と、ありとあらゆる手法を試みてきた。そのたびに記憶に残る作品を生み出してきたが、観客を惹きつけるのは結局、きちんとした脚本と迫真の演技に基づくシンプル・ストーリーなのではないか。
古典的でシンプルだからこそ、文化の差異を越えた多くの観客の共感を得ることができる。ちょっと拍子抜けの映画を最後まで見届け、満足して席を立てたのは、そのせいだと思う。
昔の映画はラストシーンが印象的だった。この映画もそうだ。試合中、心臓が痛くなったロークが、得意技を出せという観客の歓声に応えてトップロープに立ち上がる。腕を叩く得意のポーズの後、身を投じるようなジャンプ。
エンドロールなしの「THE END」で終わってほしかった。