2010年1月号 BUSINESS
年末の資金繰りにメドをつけた日本航空社内でレームダック化した西松遙社長の後継人事が喧しい。
国家管理となった日航に人事権などあるはずもないが、そこは長年、政官界と蜜月を続けてきたフラッグキャリア。「橋渡し役」のOBが中心となって、日航に都合の良い人物をトップに迎えるべく画策している。その意中の候補こそ、JR東日本相談役の松田昌士氏だという。
「国鉄改革三羽烏」と称され、旧国鉄民営化に尽力した松田氏は、JR東日本の社長、会長を経て、今なお社内外で隠然たる存在感を示す大立者。その松田氏をトップに据えれば、事実上の「再国営化」に追い込まれた日航を、再び民営化へと導く道筋がつけやすくなるとの読みがある。
「日航をダメにしたのは組合問題」と関係者は口を揃える。日航には八つの組合が乱立しており、それがどれほど会社を蝕んだか。「経営陣は組合にストを打たせないために妥協を繰り返してきた」(日航幹部)。その結果、同じく組合問題を抱えていたものの、90年代後半以降、労使関係を改善してきた全日本空輸に比べ、高コスト体質が際立ってしまった。
旧国鉄が日航や全日空以上に深刻な組合問題を抱え、事実上の経営破綻に陥ったのは周知の事実。その組合問題を克服し、新生JRへ組織改革を成し遂げた松田氏なら、日航の宿痾である組合問題に終止符を打てるはず。「松田待望論」には、そんな大義名分もある。
ところが、一筋縄でいかないのは、「松田氏を推しているのが、組合活動にどっぷりつかっていた日航OBである点」(日航関係者)。その代表格が大島利徳なる人物だという。
共産党の牙城と化した日航労組を無力化するため、会社側が設立した第2組合「全日本航空労働組合」の中央執行委員副書記長、本部執行副委員長などを歴任し、日航での最終ポストはJALトラベル(現JALセールス)会長だ。
2003年には自らのイニシャルをつけたコンサルティング会社「オフィス・ティー&オー」を興したが、これは表の顔にすぎない。実際は、組合活動を通じて連合に深く食い込み、「(対連合における)日航の政治部長」と呼ばれてきた人物だ。ちなみに山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』に出てくる轟鉄也は、大島氏がモデルとされる。株主優待券を金券ショップに持ち込み、裏金を捻出するといった「汚れ役をこなしてきた」(日航幹部)という。
そんな大島氏と松田氏の関係について関係者はこう明かす。
「民営化後もJRには組合問題が根強く残り、旧国鉄キャリアの松田氏は汚れ役の大島氏に知恵を借りることが多かったようだ」
「ポスト西松」をめぐっては、さまざまな下馬評がある。まず伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長の名前が挙がっている。伊藤忠は10年春に社長交代が確実視されており、丹羽氏も会長から相談役に退くと見られる。「歯に衣を着せぬ論客として人気のある丹羽氏なら世論の受けもよい」と、首相官邸筋にも推す向きがあるようだ。「首相から懇請されたら断れないかもしれない」と周辺は気をもむ。
さらに、りそなホールディングス会長の細谷英二氏も候補の一人。03年に事実上破綻したりそなの首脳人事は財界に委ねられた。当時経済同友会の代表幹事だった牛尾治朗氏が、JR東日本副社長の細谷氏に白羽の矢を立てた経緯がある。りそなから日航への「移籍」は「運輸と金融の両方がわかる」との触れ込みから浮上した。当の細谷氏は「まったくその気もないし、そんな打診もない」と否定する。細谷氏の周辺は「日航は石を投げれば政財界関係者の子弟にあたるコネ会社。厄介なのは労組問題や国会対応だけじゃない」と、細谷氏が敬遠する理由を代弁する。
確かに伏魔殿のごときフラッグキャリアを立て直すには、内情をよく知る「水先案内人」が必要だ。その意味で伏魔殿の汚れ役と太い線で結ばれた松田氏は適任かもしれない。が、豪放磊落で知られる松田氏も近く74歳になる。最近は体調も万全ではないようだ。
日航首脳人事は前原誠司国土交通相以上に、運輸族で鳴らした亀井静香金融担当相の人脈がものを言うとの見方もある。松田氏が軸だが、ギリギリまでわからない。