我ら口蹄疫と闘い、地域の光明とならん

2011年2月号 連載 [JCは今]
by 取材 ジャーナリスト 児玉博

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昨年、口蹄疫で大きな被害を受けた宮崎県。非常事態の中奮闘した地元の青年会議所の3人に話を聞いた。

――中原さんは昨年、県内に九つあるJCを束ねる宮崎ブロック協議会の会長を務められました。多くのJC会員の中でも、本職が僧侶という方は珍しいのでは。

中原 正暢(なかはら・まさのぶ)
公益社団法人日本青年会議所 宮崎ブロック協議会 直前会長

1970年生まれ。都城市出身。浄土真宗本願寺派蓮正山アソカ寺副住職。

中原 そうですね。JCのことは京都に学んだ大学時代から知っていました。毎年1月に京都で行われるJCの「京都会議」について、「青年実業家が集まるパーティーがあるらしい」と聞いていましたから。お寺はかつて地域の核でしたが、今は必ずしもそうではない。閉鎖的な社会なので、人との出会いやご縁が広がるのではとJCに入りました。

――都城JCの間さん、西都JCの押川さんはそれぞれ畜産業で、当事者として口蹄疫に直面されました。お二人のJC入会の経緯は?

押川 私の場合はたまたま手伝った西都市の夏祭りがきっかけで、そこで中心になっていたJCの先輩たちに誘われました。最初は地域のためなんて考えてもみなかった(笑)。JCには「言葉ではなく、まずやってみる」という伝統がありますが、本当にその通りで。「とにかく出てこい」と言われて参加しているうちに、地域の役にたちたいという思いが身についてくるんですね。

間 私は父が地元JCの理事長だったので、JC活動をするのは自然の成り行きみたいなものでしたが、やはり人を知るという点が一番魅力でしたね。今は自分たちの経験をどう後輩たちに伝え、またどう地域に落とし込んでいくのかを考える時期にきています。

――良くも悪くも東国原英夫前知事が宮崎の知名度をあげた一方で、県の印象ははっきりしないですね。

中原 温暖な気候とか神話の高千穂とか、個別に見るといろんなものがあるんですが、それがうまく伝わっていないのは事実でしょうね。県北、県南、県西と、地域別にも抱えている問題が随分と違う。違いがあるのは当然ですが、問題はそれぞれが別の地域の問題にほとんど関心を持っていないことだと思います。

間 健二朗(はざま・けんじろう)
社団法人都城青年会議所 アドバイザー 宮崎ブロック協議会 副会長

1972年生まれ。都城市出身。株式会社はざま牧場代表取締役社長。

例えば、私は他県のJCの集まりなどに行くとよく「陸の孤島・宮崎から来ました」と挨拶します。それほどインフラとしての道路整備が遅れている。鹿児島から都城市、宮崎市までは高速道路が来ましたが、県北に延びるまで数十年以上かかるんじゃないでしょうか。「コンクリートから人へ」の現政権には逆行しますが、地方のインフラ整備は救急体制なども含め、今も深刻な問題です。

――地域の違いはJCのあり方にも影響していますか。

中原 県内にはJCのない町もあり、そんな町の良さも知る必要があると思います。またJCがあるところでも、かつて九州地区の会長を3名も出すほどだった日南JCや串間JCで会員数が激減している。大きな流れとしてJC活動が試練に立たされているような気がします。

押川 例えばお祭りを一つやるにも地元のJCでは大変な苦労がある。本業がある中、走り回り汗をかいて頭を下げて、そりゃ大変なんですね。けれども、不況だから、ご時世だからって理由を見つけてその苦労に背中を向け始めると、メンバーはどんどん減ってしまうんです。

――地域復興に尽力する最中に宮崎県を襲ったのが口蹄疫でした。(編集部注=都農町で発生したとされる口蹄疫は、昨年8月27日の県の終息宣言までに、牛、豚など28万8643頭が殺処分された。畜産業の損失はおよそ1400億円、関連損失950億円。今後3~5年は毎年400億円程度の損失が予想される。)押川さん、間さんの最前線での苦労は並大抵ではなかったと思います。

押川 うちの農場は6400頭の豚が全頭殺処分。発生した時点で20キロ圏内に入っていたので、発生翌日から出荷は止まっていました。

押川 拓矢(おしかわ・たくや)
社団法人西都青年会議所 監事

1974年生まれ。高鍋町出身。有限会社みどり農園代表取締役社長。

発生以来豚舎に泊まり込み、自力で24時間態勢の消毒を続けたけれど、口蹄疫が近づいてくればくるほど情報が把握できなくなり、気づいたときにはもう農場の周りは口蹄疫で囲まれていた。国のワクチン接種の方針が決まる2、3日前です。担当獣医さんから「(豚の種付けの)人工授精止めていいよ」と言われたときには、ああ終わったなって、一気に力が抜けました。それでも、とにかくワクチン接種して、抗体が上がるまで頑張ろうと。接種すれば殺処分は決まりますが、豚を病気にかからせず、埋却するためです。豚舎にはもう1頭もいません。消毒しながらそのまま置いています。

間 私のところは豚が8万頭、牛が6千頭、肥料も作るし野菜の栽培もやっている大規模農場です。川を隔てて200メートルの向かいの農場まで口蹄疫が迫っていましたが、幸い、本当に幸い被害を免れました。

川向かいでの発生を聞き、市の担当者にまず言ったのが「穴を掘り始めましょうか」。発症したら最終的に埋めて処理することはわかっていましたから。穴を掘る重機をすぐに確保するため、建設会社にも「非常事態には一番に重機を回す」と一筆書いてもらっていました。行政の判断を待っていたら、自分たちのスピードで処分できない。それくらいの意識で準備をしていました。

――壮絶な話ですね。行政の判断がもっと早ければ、という思いは?

押川 やっぱり、発生した瞬間にそこに通じる道路も含め徹底した消毒態勢を取っていたら全然違っていたと思う。仲間の農家が役所にひっきりなしに電話して、もっと消毒ポイントを増やしてほしいと言っても、「県の指導だから」と動かなかった。アジア諸国との行き来も盛んな今、大きな教訓になったと思います。

間 リーダーシップをとる人が必要ですね。都城JCでは、「これは災害だ」という認識を理事長にも中原ブロック会長にも理解して頂き、率先して対応をしていました。白い防護服を着た人たちが消毒する映像が報道されたと思いますが、あれはJCの仲間が多かったんですよ。

――牛、豚、鶏と、宮崎は畜産王国。JCも可能性を感じるのでは。

中原 実は県内でも、今回のことで初めて畜産が宮崎の主要な産業であると気づいた人が多かった。大きな被害の中でJC活動もままなりませんでしたが、今後、地域の進む方向の検討材料ができたように私は感じています。

間 南九州の高齢化は深刻ですが、高齢者でも農業は分業でやっていけます。九州はアジア諸国にも近い。多くの若い労働力を迎えられるし、アジアの若い子たちと、高齢者がコラボできるんじゃないでしょうか。退職後、一日数時間農業にいそしんでゴルフをやるとか、温暖な土地でゆっくりと生活するには宮崎は打ってつけだと思います。

――経済の「宮崎モデル」できるんじゃないですか。

中原 口蹄疫の終息宣言が出た直後、私は「ブロック内のJCは是非地域を照らす光明になってほしい」と訴えました。口蹄疫の国の補償体制など言いたいことは山ほどありますが、こうした困難にも逃げず立ち向かう若い人たちがいれば、必ず新しいモデルを作れると思います。

   

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