2011年5月号
連載
by 宮
某日、自衛隊の知人より。「最前線の隊員は限界状況。嘔吐、発熱、体調不良を訴えている」。逆巻く泥流に呑まれ、何百メートルも転がされたご遺体は真っ黒なサツマイモの塊と化し、男女の見分けさえつかない。阪神淡路とは違って救急救命隊の出番はほとんどなかった。泣き濡れた部隊は今も、ガレキと泥に埋まった無数の仏さまを探し続けている。
大震災から9日目に防大卒業式。役人が用意した型通りの訓辞を読み上げる菅さん――。
54年前(昭和32年)の第1回防大卒業式。「自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときとか、 国民が困窮し、国家が混乱に直面しているときだけだ。君たちが 『日陰者』であるときの方が、国民や日本は幸せなのだ。耐えてもらいたい」。吉田茂元首相の訓示は胸を打つ。
政治家は言葉が命と言うが、今日びは空疎か軽薄だ。自衛隊を「暴力装置」と言う奴もいる。仰ぎ見る宰相は、この国ではノスタルジーでしかない。
某日、信心深き人より。「旅客来りて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭(ちよう)・飢饉・疫癘(えきれい)、遍(あまね)く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る。牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ、骸骨路(がいこつみち)に充(み)てり」。鎌倉の世(1260年)、日蓮が北条時頼に献じた『立正安国論』は、の大地震の惨禍より書き起こす。総選挙は遠のいたが、原発を憎み、エネルギー多消費文明を悪とする「グリーン政党」が台頭するだろう。パラダイムシフトである。
某深夜、運転手が嘆く。「都内タクシーの日々の売り上げは1万円以上減り、月の手取りは15万円に満たない」。銀座も新宿もネオンを落とし、カラオケバーのママは頬杖をつく。夜のしじまが返ってきた。人口学者によれば、夜の暗さと出生率は比例する。NY大停電の翌年、出産ラッシュが生じた。
某夜、レベル7の宣告を聞く。世界は戦(おのの)き、日本=フクシマになってしまった。帰路、市営グラウンドの夜空はお星さまがきれい。星に願いをかけたくなった。