2011年7月号 BUSINESS
「菅抜き・非小沢」で野田佳彦首相。これが財務省が待望する次期政権の姿である。財務省は全力で政治家・野田氏を支えなければならない。
「今年は大きな節目になる。特に大事なのは、社会保障の安定強化と消費税を含む税制抜本改革の一体的実現だ。覚悟は持っている。政治生命を懸けて実現する。みなさんとしっかり作戦会議をしながら、何としても実現したい」
1月5日、野田財務相が行った年頭訓辞の言葉に勝栄二郎事務次官以下、財務省幹部は酔いしれた。これは次期首相への立候補宣言だ。
自民党政権時代、財務相(旧蔵相)は首相への登竜門であり、官庁の中の官庁と呼ばれる財務省(旧大蔵省)と手を結ぶことが政権運営の肝だった。野田氏の年頭訓辞は、今も財務省内に崇拝者の多い、消費税生みの親、竹下登元首相の気迫を思い起こさせた。増税から逃げない姿勢こそが財務省が理想とする首相像だ。
2009年9月の民主党政権誕生後、財務省が手塩にかけた政治家が「野田佳彦」である。鳩山内閣で財務副大臣に就き、菅内閣で財務相に昇格した。野田氏は政権交代以降、最も長く一つの省庁、財務省に留まっている政治家である。
松下政経塾1期生で千葉県議を経て国政を志した経歴は、どちらかと言えば党人派であり、政策通とは言い難いが、今や民主党きっての財政通、財政再建派となった。
ある財務省有力OBは「政権交代時、財務省は大臣に恵まれたが、何よりも幸運だったのは、藤井氏が副大臣に野田氏を連れてきたことだ」と語る。脱官僚を掲げる民主党政権誕生に霞が関は緊張感に包まれたが、財務省は大蔵官僚出身の藤井裕久氏を迎え、丹呉泰健次官(当時)ら幹部の頬は緩んだ。だが、逆に野田氏には「丹念にお育て申し上げないといけない」と緊張感を抱いていた。
反小沢の姿勢が災いし、副大臣に甘んじたが、党内では「花斉会」を率いる派閥の領袖。派手さはないが、将来の首相候補の一人だった。
財務省で予算編成を統括する主計局担当となり、勝主計局長(当時)らが教育係を務めた。事務方の話に真摯に耳を傾け、専門知識を次々と吸収、日銀の金融政策決定会合にも出席するなど経験を積んだ。09年11月には、英セントアンドルーズで開かれた20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議に財務相代理として副大臣では異例の出席を果たし、国際舞台も踏んだ。予算編成では、各省との折衝で前面に立ち、「税制は古本伸一郎政務官、予算は野田副大臣の頑張りが大きい」と省内で評価を高めた。財政、金融、国際会合、省庁折衝と英才教育が施されてきた。
財務省に限らず、有望と見込んだ政治家をシンパに育てるのは霞が関の習わしである。約15年前、財務省が将来の財務相、さらには首相候補と見込んだ政治家は梶山静六官房長官(当時)門下で頭角を現した与謝野馨氏だった。その与謝野氏は政権交代後、訪れた財務省幹部に「野田を大事にしろ」と語ったという。
財務省シンパ・財政再建派の系譜は、竹下氏から与謝野氏へ、与謝野氏から野田氏へと引き継がれ始めている。菅直人首相の退陣表明後、後継候補に名前が挙がるや、小沢グループを中心に「増税マニア」「財務省の組織内候補」「財務省の操り人形」と野田批判が起きるのはある意味では当然と言えた。
「前原ではなく野田だろう。首相判断がふらつくようでは経済復興は期待できない」(財界関係者)
野田待望論は財界にも広がる。前原誠司前外務相は人気は高いが、八ツ場ダム建設中止や日本航空支援問題、尖閣諸島沖漁船衝突事故など、いずれも独断で目算なく行動し深みにはまった。これでは戦後最大の国難に対処できないというのが財界と霞が関の共通認識だ。
慎重すぎて面白みがないとも言われるが、野田氏の安定した国会答弁と記者会見の受け答えは周囲に安心感を与える。発言が二転三転したり、言を左右にすることもない。財界幹部は「脱官僚・政治主導ごっこは限界。次の首相には官僚を使いこなす能力が求められる」と指摘する。
財務省も財界も菅首相を完全に見限り、仙谷由人官房副長官の動きに合わせ、それぞれに思惑を抱き、野田支持で走り出した。