2011年9月号
連載
by 宮
日曜日の夕暮れ。都内の特養老人ホームの夏祭りをのぞく。駐車場に櫓(やぐら)を建て、車イスのお年寄り70名が周りを囲む。施設の理事長が言う。「震災後で迷いましたが、今年も地域の皆さんの応援で無事、開催することができました」。
地元選出の代議士も姿を見せ、花火が上がり、模擬店には長い列。郷土芸能保存会の子どもたちが太鼓を打ち鳴らし、浴衣姿の女性ボランティアが東京音頭や炭坑節に合わせて踊る。車イスのお年寄りも両手をかざして調子を取り、練馬区最高齢という110歳の女性入居者の笑顔も見える。
震災から147日目。石巻を再訪する。新北上川の橋のたもとに立つ大川小学校は、児童74名と教職員10名が死者・行方不明になった非業の地。校門前には慰霊碑と小さなお地蔵さま。お花やお菓子やぬいぐるみで飾られた祭壇の前で僧侶がお経を読んでいた。
碑には「東日本大震災大津波横死」と刻まれ、裏には「百ケ日忌に有志有縁建立」とある。赤レンガのモダンな校舎は見る影もなく、周囲は重機の轟音が響くガレキの仮置き場になっている。延べ3万人の捜索隊が投入されたが、児童6名が行方知れず。炎天下、警察官と消防隊員ら200人以上による泥まみれの捜索が続く。
南へ5キロ。街が跡形もなくなった雄勝町を歩く。ガレキの荒れ野と化した中心地には人影がなく、重機だけがアームを上下させている。漁港のはずれに立つ雄勝病院は患者40名、医師・看護師24名が全員死亡・行方不明。裏山へ逃げた事務員6名だけが生き残った。死亡率は実に9割。背後に山がそそり立ち、逃げ場はどこにもない。黒ずんだコンクリートの廃墟のガラス窓から亡者の叫びが聞こえてきそうな「心霊スポット」だ。
人の世には「まさか」と言う名の坂があり、その途中で人は命を落とす。そもそも河口から5キロ上流にある大川小は地元の避難所に指定されていた。寝たきり老人ばかりの雄勝病院は患者を3階に移す途中で、病院もろとも水没するまさかに襲われた。
生死一如(しようじいちによ)と言うほかない。