大高 善興 氏
ヨークベニマル社長
2011年10月号
LIFE [インタビュー]
インタビュアー 本誌 和田
1940年福島県郡山市生まれ。郡山商業高等学校卒業後、父母が創業した紅丸商店(現ヨークベニマル)入社。84年専務、94年副社長、2000年より現職。同社は東北、関東5県に173店を展開する大手食品スーパー(11年2月期の売上高3377億円)。06年にセブン&アイ・ホールディングスの傘下に入った。
――福島(68店)、宮城(43店)、山形(15店)、栃木(20店)、茨城(27店)を地盤とする食品スーパー、ヨークベニマルは未曾有の震災被害に見舞われました。
大高 71歳にして、こんな目に遭うとは想像もしませんでした。真っ先に本社のある郡山市内の店舗を回りましたが、天井が落ち、空が見える有り様でした。震災直後に営業できたのは全173店のうち65店舗だけ。甚大な津波被害を受けた石巻市内の店長と連絡が取れたのは4日後で、店舗の屋上が社員と地元の皆さん500人の避難所になっていました。亡くなった従業員(24人)と亡くなったご家族合わせて152人。家屋の全壊500棟、半壊686棟に及びました。さらに、原発周辺の店舗は閉鎖に追い込まれ、600人の社員を避難させることになりました。大きな余震が続き、生きた心地のしない毎日が続きました。それでも、何とか5月初めには、石巻の2店舗と原発周辺の5店舗を除く163店舗の営業再開へと漕ぎつけました。震災のあった3月の売り上げこそ、既存店ベースで対前年比82%に落ち込みましたが、4月は100%、5月は102%、6月は107%、7月は108%と盛り返しました。
――わずか2カ月で「奇跡の復興」ですね。
大高 短期間でほとんどの店舗を営業再開できたのは、日頃から危機管理システムを整え、物流センターを数カ所に分散させていたからです。地元ゼネコンとチームを組み、県別に店舗復旧チームを結成。店内に流入した車両やがれきの撤去や建物の補修を急ぎました。さらに、セブン&アイ・グループの支援がものをいいました。グループ会社のメンバーが、被害の大きかった福島グローサリーセンターの業務支援に駆けつけ、商品調達に奔走してくれました。私がセブン&アイの傘下入りを決断したのは5年前の2006年のことです。グループの一員であることのありがたみを、これほど感じたことはありません。
4月時点の業績見通しは営業利益10億円、特別損失150億円でしたが、いち早く営業再開したことにより、上期(2月~8月期)の営業利益が伸び、95億円に達しました。石巻市内は現在3店舗(2店舗休業)ですが、従来の5店舗を上回る売り上げを記録しています。当社社員の不眠不休の復旧努力の賜です。福島、宮城の休業7店舗の社員80人、パートタイマー300人は周辺店舗で吸収し、雇用も守っています。
――原発周辺の店舗はどうなっていますか。
大高 富岡店、浪江店など4店舗は原発から数キロ地点にあり、立ち入り禁止(完全閉鎖)です。金庫は破られ、ものは奪われ、廃虚同然です。除染するにも汚染がひどいので20年は近づけないでしょう。残る原町店(南相馬市)は原発から約25キロ離れていますが、周辺人口が半分に減ってしまったため、営業再開が難しい状況です。
宮城、岩手の津波被災地では、がれきを撤去し、日に日に復興が進んでいるように見えますが、原発被災地の福島は半年が経っても先が見えず、被曝の恐怖と不安が消えません。水素爆発が発生した直後、原発から70キロ離れた郡山でも毎時40マイクロシーベルト(μSv)の最高値が計測されたそうです。中通りの福島市や郡山市は安全かと思ったら大きな間違い。福島市は1.2μSv、郡山市も0.95μSvと、かなり高い。放射能の雲が国道114号線の上空を浪江町、川俣町から中通りへ流れ込む途中で雪が降り、地表に沈着したのです。一方、汚染が懸念された浜通りのいわき市は0.25μSvと低かった。日々、当社の店舗や施設のある福島各地の放射線をチェックし、一喜一憂するのは心臓によくない。私の血圧は70~130から115~185に跳ね上がりました(笑)。
――福島県教育委員会によると、放射線被曝を恐れて県内外に避難した小中学生は1万6千人に上るそうです。
大高 子を持つ親の悩みは深刻です。福島市や郡山市では、子どもは外で遊びません。放射線への不安から転校が増え続けています。できることなら県外に引っ越したいが、それができない家族が多いのに、新学期が始まる前に通学路の除染さえ終わっていない学校があります。高校生の就職も厳しい。県によると、来春の就職希望者約4600人に対して、県内求人は700人しかないそうです。当社は急きょ採用計画を見直し、県内高卒者の採用を10名から40名に増やしました。
県は7月1日時点で、県の人口が200万人を割り、199万7400人になったと発表。3月1日から4カ月で2万7千人減ったそうですが、これは住民票の届け出に基づく統計で、住民票を移していない人を含めると、約5万2千人が県外に流出しています。震災前から県の人口は毎年0.6%減少し、2035年には168万人になると推計していました。25年後の県人口はどうなるのか。極端な人口減少は、県の経済・社会システムを崩壊させます。行政には、その危機感が乏しいと思います。
――風評被害も深刻ですね。
大高 名産の「伊達の桃」が4個で398円。山形県産の3分の1の値段です。国の暫定基準値を超えた桃は1個もなく、県が安全のお墨付きを与えているのに捨て値でしか売れない。牛の次は桃、桃の次はコメでしょうか。東京電力に損害賠償を請求しても、飯舘牛や伊達の桃のブランド力は戻りません。
――福島県を代表する企業のトップとして、野田佳彦新政権に、何を望みますか。
大高 前政権はとにかく手際が悪く、無責任でした。退陣間際の菅首相から、放射性廃棄物の「中間貯蔵施設」を県内に建設したいなどと突然言われても、知事が困惑するのは当然です。野田首相は、初会見で「東日本の大規模な除染を省庁の壁を乗り越えて実施する」「除染のため予備費を活用する」と述べ、「福島の再生なくして、日本の再生はない」と言い切りました。多くの県民がグッときたはずです。子どもたちが外で安心して遊べるようになるなら、立ち入り禁止区域内の中間貯蔵施設に反対する県民はいません。除染のスピードがあがり、一度は故郷を離れた家族が戻って来るなら何よりです。
5年間で13兆円を投じる復興予算(第3次補正予算)では、避難されている人たちに夢と希望を与える具体的なプランを、一日も早く示してほしい。経済特区を設け、各種優遇税制や政府資金を活用し、企業や研究機関を招き、雇用を創出する。20年も近づけない汚染地は国が買い上げ、故郷を失った住民のために新しい街をつくったらどうでしょう。幸い浜通りの中心地であるいわき市は常磐自動車道が走り首都圏へのアクセスがよく、土地も余っています。雪深い会津に集団移転した大熊町の住民は、冬を恐れて仮設住宅に入りたがらないそうです。彼らは故郷に近い浜通りで暮らしたいのです。いわき市郊外に新市街を建設して、集団移転を促す構想をどうでしょうか。