戦争に呑み込まれた「フジタと大観」

『絵筆のナショナリズム』

2011年10月号 連載 [BOOK Review]
by 石田修大

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横山大観と藤田嗣治。いずれも日本を代表する画家だが、かたや「朦朧体」と嘲られながら日本画の革新を進め、富士山を描き続けた大家、一方はパリに渡り、裸婦像の「素晴らしい乳白色」によって一躍仏画壇を席巻したおかっぱ頭の異端児。およそ対照的な二人だが、第二次大戦中、国家戦略に従って戦争画を描いた戦争協力者という共通点があった。

1868(明治元)年生まれの横山大観は、岡倉天心率いる東京美術学校の第1期生で、のちに同校助教授に就任。だが、黒田清輝ら洋行帰りの西欧派に追われ、岡倉校長が失職するや、彼に従い日本美術院創設に参画する。大観より18歳年下の藤田嗣治は、天心や大観が去ったあとの東京美術学校に入学、黒田の指導を受けたが、卒業後パリに渡り、ルソーの作品に衝撃を受け、日本で受けた教育を放擲、独自の画境を開いていく。

やがて大観は大日本美術報国会会長として、「彩管(絵筆)報国」を旗印に戦争宣伝の指導にあたり、帰国した藤田もまた「アッツ島玉砕」など戦争画を描く。戦後、戦争協力者として指弾された二人だが、占領軍に取り入り、画壇の巨匠として生き延びた大観に対し、藤田は日本を追われ、舞い戻ったパリでも新聞記者の批判を浴び、南仏で余生を過ごした。

著者はそうしたいきさつを丁寧に掘り起こし、戦争協力者であった二人の画家の生き方を興味深く描いてみせる。だが、この本の主眼は藤田や大観の変節を責めることではない。著者の関心は二人の言動だけでなく、彼らを躍らせた時代という舞台に、より鋭く注がれている。

本書執筆の動機は「すべてに対照的な二人の作品のどこかに通い合う、日本という風土に育まれた『寂しさ』とも呼びたい空気」に触発されたからだという。そして、その原因を「『西欧』という陽炎を追いかけながら試行と挫折を重ねた、日本の『近代』という時間の寄る辺ない流れ」と表現する。

19世紀後半、晩年のアングルが描いた異国趣味あふれた『トルコ風呂』の解説から書き始めたのも、オリエンタリズムからジャポニスム(日本趣味)へと受け継がれた西欧のまなざしを、藤田と大観を照らす舞台照明に使うためだ。

日清、日露、第一次世界大戦を経て、急速に世界に台頭した日本。西欧のまなざしは、「女性的日本」に対する当初の好奇と憧れから、やがて変貌した「男性的日本」への懐疑と警戒に変わっていく。それに対応するように大観らは伝統美を強調し、藤田もまた日本の風土への関心を強めていった。

戦後66年。日本を代表する画家とはいえ、彼らの戦争協力という事実だけでは、さほど現代の読者の興味は引くまい。それを近代化という舞台に載せ、日本に注ぐ西欧のまなざしという照明をあてることで、我々は新しい芝居を見るような感覚を得ることができる。

日本の近現代を照らした欧米のまなざしは今や力なく衰え、代わって台頭した中国、インドなどが欧米をはじめ“先進国日本”をも見つめている。見つめる立場に変わったアジアの中で我々はどう振る舞えばいいのか。そんなことまで考えさせられる一冊である。

著者プロフィール

石田修大

   

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