裁判資料が明かす「大災害の予測と防止のための国家委員会」の舞台裏。意図的な安心情報を流した行政幹部に責任の大半がある。
2013年2月号
LIFE [特別寄稿]
by 纐纈 一起/大木 聖子(東京大学地震研究所教授/助教)
ラクイラ地震で破壊された歴史的建造物(纐纈氏撮影)
現地時間2009年4月6日未明にイタリア中部でマグニチュード6・3の地震が発生し、震源地付近のラクイラ市を中心に大きな被害が出て309名の方が犠牲となった(米地質調査所、伊ANSA通信による)。このラクイラ地震の6日前に当地で、イタリア政府の「大災害の予測と防止のための国家委員会」が開かれていたが、それに招集されていた科学者5名と行政関係者2名を、犠牲者の遺族が集団過失致死罪で告訴し、裁判が開かれる事態になった。
そして、昨年10月に禁錮6年、公職から永久追放という有罪判決が全員に出されてしまったのである。こうした経緯は雑誌『科学』12月号に大木が書いた記事に詳しい。その後、大災害委員会や裁判に関わる重要な資料を入手することができたので、改めて一連のできごとを振り返ってみたい。
ラクイラはもともと月に数回程度、小さな地震が発生する、イタリア国内でも地震活動度の高い地域である。09年3月までの半年間は、通常より小さい地震の数がかなり増え、「群発地震」と呼ばれる状況になっていた。そうした中で、3月上旬には独自に地震予知情報を出す人が複数現れ、ラクイラ市とその周辺は軽いパニック状態になっていたようである。
3月30日には、それまでの地震よりひと回り大きいマグニチュード4の地震が発生するに至って、住民の不安は一層高まったであろう。そこで翌31日に、イタリア政府の市民保護局は大災害委員会を招集し、ラクイラ市内のアブルッツォ州庁で開催した。裁判に証拠として提出された、市民保護局ベルトラーゾ長官とアブルッツォ州スターティ市民保護参事との3月30日の電話記録によると、この招集の目的は「ただ人々を安心させたいだけ」の「メディア的な作戦」のためだったとのことである。
ベルトラーゾ長官がイタリア検察局に提出した3月31日の大災害委員会の議事録には、「市民保護局副長官がメディアに対して、科学者でないにもかかわらず、頻繁に一連の地震が発生した場合、エネルギーが放出されるため大地震が起こらない可能性が高くなると表明したと、私は聞いた」というバルベリ副委員長(ローマ第三大学教授)の発言が書かれている。この発言はまず第一に、市民保護局のベルナルディニス副長官が委員会の始まる前にメディアに対して、「群発地震がエネルギーを解放したため大地震が起きにくくなっている」という情報を意図的に洩らして、何らかの目的を達成しようとした点への懸念を表明したと捉えることができる。
マグニチュードが1小さいだけで地震のエネルギーは30分の1になる。群発地震を構成する小地震のマグニチュードはせいぜい2か3であるから、それらより4程度マグニチュードが大きいラクイラ地震のエネルギーを解放するためには、小地震が百万回も起きなければならない。ところが、実際に起きているのは数百回程度であるから、群発地震がエネルギーを解放したから大地震が起きにくくなっているという考え方は科学的に誤りである。大災害委員会議事録の中のバルベリ副委員長の発言は、この誤りを科学者として指摘しようとしたとも考えられる。
以上をまとめると、ベルナルディニス副長官はメディアを通じて、科学的に誤った説明を行って、群発地震は大地震につながらないという安心情報を住民に与えようとしたと類推できる。こうした行政側の意図があったことは、前述の3月30日電話記録の中に「100回の地震はエネルギー放出に必要なもの」と地震の専門家に言わせようというベルトラーゾ長官の発言があることからもわかる。
こうした安心情報は、委員会後の記者会見でも否定されなかったようである。なぜなら、その後の地元テレビ局のニュースでは「安全宣言が出されました」「市民の皆さまには朗報です」と放送されていたからである。翌朝の地元紙の論調も同様であった。
安心情報が出された6日後の4月6日、安心情報に反して規模の大きいラクイラ地震が発生してしまい、309名の方が犠牲になった。ラクイラ市には石造りの歴史的建造物が多く、それらには耐震性がほとんどない。犠牲者の多くはそうした建造物の下敷きになって亡くなった。その中には、30日以前は屋外に避難していたのに、ベルナルディニス副長官の安心情報によって建造物の中に戻った方が少なからずいた。そうした方の遺族が中心となって告訴が行われた。
委員会前の報道発表(おそらくベルナルディニス副長官へのぶら下がり取材)も、委員会後の記者会見も行政関係者が主に対応したのであるから、それらの中で出た安心情報が犠牲者につながったとすれば、その責任の大半は行政関係者にあると言わざるを得ない。一方、科学者は、前述のバルベリ副委員長の発言のように、大災害委員会の中で安心情報への懸念を示していたのであるから、安心情報を出したことに科学者の過失があるとした判決は誤ったものであろう。
科学者たちは大災害委員会の中で概ね、まったく大地震にならないとは言い切れないが、多くの群発地震が大地震につながらずに終わっているという一般論を述べている。たとえば、議事録によると、エヴァ委員(ジェノヴァ大学教授)は「多くの群発地震は大地震へつながっていない。当然ながら、ラクイラは地震地帯であるため、大地震にならないと断言することはできないが」と述べている。また、ボスキ委員(当時、国立地球物理学火山学研究所所長)は「(直近の大地震である)1703年の地震のような揺れは、絶対にありえないとは言い切れないとしても、近々起こりそうもありません」と述べた。
この一般論の中では、但し書きの部分「まったく大地震にならないとは言い切れない」が重要で、少なくとも委員会後の記者会見ではこの但し書きを強調すべきであった。科学者の中からただひとり記者会見に出席していたバルベリ副委員長がそれをしていたならば、309名の犠牲者や科学者の有罪判決といった悲劇は防げたかも知れない。実は記者会見の映像は残っているが、音声が残っていない。従って、但し書きが強調されなかったことを確認することはできないが、安心情報を大災害委員会の安全宣言と書きたてる報道のされ方を見れば、強調されなかった、あるいは少なくとも効果がある強調はされなかったと考えざるを得ない。また、メディアはこうした但し書きをそぎ落として白か黒かで報道しがちであるが、その点に関して責任の一端がある。
また、ラクイラ地震まで6日間あったのだから、テレビや新聞の報道を見てから、安全宣言などはあり得ないと科学者が記者会見しても遅くはなかった。報道に接した科学者は必ずや違和感を覚えたはずである。しかし、科学者たちは否定の記者会見をすることまではしなかった。
以上の経緯を見れば、大地震の危険性よりパニックの危険性を優先してしまったという過失が行政関係者にあり、直接的責任は彼らが負うべきで、特に今回起訴されなかったベルトラーゾ長官とスターティ参事の責任は重大であろう。科学者はある意味で、彼らに利用されただけということもできる。
しかし、科学者にも行政関係者の過失をある程度カバーできる機会が、大災害委員会直後の記者会見にあったし、その後に否定の記者会見を開くということもできた。なぜ、イタリアの科学者、特に直後の記者会見にただひとり出席していたバルベリ副委員長が、これらの行動をとらなかったかについては今後、研究をさらに進めていきたい。ひとつの可能性は、群発地震が大地震につながるという低い確率の現象に対して、専門家といえども正常性バイアスが働いて、その危険性を見過ごしてしまったということがあり得ると思う。
*裁判の起訴状や大災害委員会の議事録などのイタリア語文書の収集、およびそれらの和訳、英訳に関して、ドキュメンタリージャパン社の山田礼於氏、国立地球物理学火山学研究所のマシモ・ココ博士にご協力いただきました。記して感謝致します。