2016年4月号
連載 [永田町 HOT Issue]
by 荒井 聰(民主党衆議院議員)
「野合のどこが悪い!」
民主党と維新による新党結成を発表した記者会見での岡田代表の言である。政治とは取捨選択の積み重ねであり、立憲主義が窮地に瀕している重大さに比べたら、両党の溝は小事の類である。「自主憲法を制定し自衛隊を国防軍に改組する」という党綱領を持つ自民党と、平和憲法を尊重し、平和主義を党是とする公明党が、選挙協力どころか長期政権を共にしているのだから、野合批判何するものぞ――。
新党名は「立憲民主」と「民進」の一騎打ちとなったが、世論調査を踏まえ、どちらに決まっても構わない。一日も早く国民に開かれた代表選挙を実施すべきというのが私の持論だ。
また世論調査による新党への期待は、2~3割にとどまると否定的な見方もあるが、目下の民主党支持率が10%に満たないのだから、「新党」を捲土重来への追い風にできるかは、我々の覚悟と迫力次第。3月27日に結党大会を迎えることとなる。
もとより政治は観念論であってはならない。現実に対する影響力を発揮してこそ、初めて政治だと言える。次なるハードルは、野党第2党である共産党との選挙協力に向かって突き進めるかにかかっている。
その試金石となるのは4月24日投開票の北海道5区補選である。与党にとっては町村信孝前衆院議長の「弔い合戦」であり、野党が劣勢なのが政界の常識だ。いわんや野党勢力が分裂したままでは勝ち目はない。
昨年末、立憲主義の旗の下、前札幌市長の上田文雄さんが市民グループ・野党勢力をまとめ上げ、民主系候補の池田まき氏の擁立に漕ぎ着けた。さらに共産党の候補者取り下げに奔走し、野党候補一本化に成功した。いわば「上田モデル」の再来である。実は13年前の上田前市長こそが「上田モデル」の被験者であった。当時の札幌市長選は、いずれの候補も法定得票数に達せず、政令都市として初の再選挙になった。自民党は再選挙に向けて候補者まで差し替え、総力戦を挑んできた。上田氏の選挙責任者を務めていた私は、複数の野党候補に「革新市政への転換」の大義を説き、上田氏への一本化を呼びかけた。その土壇場で稀に見る逆転劇が起こった。一度は「一本化」を拒んだ共産党が、公示5日後になってから候補者を取り下げ、その勢いで上田市政が誕生したのだ。この時、私の共産党に対するイメージが変わった。大義があれば、共産党は現実的に動くのだ。
先頃催された岡田代表と党中堅幹部との意見交換会では、共産党との連携に否定的な意見が続出した。私は少数意見だったが、札幌再市長選での体験を語り、共産党と連携することで離反する票と、増える票とではどちらの傾向がより強く出るか、世論調査を行った上で、冷静に根拠に基づいて議論すべきだと指摘した。自民党と我が党の調査能力の差が、一強多弱を助長する一因ではないかと、私は感じている。ゴリゴリの保守主義者のチャーチルは、ヒットラー打倒のために共産主義者のスターリンと手を組んだ。かつて自民党の野中広務幹事長は、政権存続のためなら「悪魔にひれ伏してでも」と、長年の政敵であった小沢一郎と手を握った。こうした政治のダイナミズムが歴史の大転換をもたらした。再び政権交代を目指すために小異を捨てて大同につく。今がそのチャンスではないか。
私が理解する保守主義とは、いたずらに愛国主義を鼓舞するのではなく、日本の伝統と文化を守る精神にある。その伝統と文化の象徴こそが天皇制である。今上天皇は、御高齢にもかかわらず太平洋戦争激戦地への慰霊の旅を続けておられる。1月に市街戦で数十万人の犠牲者が出たフィリピンの地で、慰霊碑に深々と頭を垂れる、両陛下の御姿に目頭が熱くなった。また、横須賀にある船員慰霊の碑にもたびたびお出かけになる。戦時中、護衛艦なしに輸送業務に従事し、米潜水艦に撃沈された船乗りの慰霊である。先の大戦では、アジア全体が戦場と化し、約1千万人が犠牲となった。陛下は「先の戦争を再び繰り返してはならない」「戦争とはかかる痛ましきものだ」と繰り返し述べられる。
昭和天皇の時代に遡り、共産党は、陛下のご臨席を理由に国会開会式を長らく欠席してきた。ところが、今年になって大激論の末、69年ぶりに開会式に出席した。永田町の玄人筋も「志位共産党」の現実路線への思い切った転換に驚愕している。今日の政治状況が、それほど危機的だという認識だろう。まずは「大義なき解散」を打たせない程度の野党共闘を作り、やがては不戦の誓いや日本の伝統を守る砦になればよいのではないか。
今年になって多くの民主党ベテラン議員が引退を表明している。世代交代は健全な組織運営にとって不可避だが、新党の運営には年の功が物を言う難しい調整局面もあるだろう。及ばずながら汗をかかねばならぬ時が来たと覚悟している。北海道5区補選を皮切りに上田モデルによる与野党逆転をどこまで全国展開できるか、そして緊張感ある二大政党制を再構築することに、自らの使命を賭している。
最近、ベテラン政治家の役割を実感する機会があった。それは医療的ケアを必要とする障害児への対策である。日本の周産期医療やNICU(新生児特定集中治療室)の水準は世界最高であり、昔なら死産となった多くの命が救われている。半面、産まれながらに人工呼吸器をつける超未熟児など、従来の医療が想定しなかった新たな障害児たちが全国で1万人近く発生していることが分かってきた。法的な定義がないため、これまで医療と福祉の狭間を漂流し、一部の在宅小児科医や先進的NPOによる保育所などの献身によって支えられてきた。私が超党派国会議員に呼びかけ、行政措置の必要性を痛感していた心ある行政マンとも連携し、あっという間に研究会が大車輪で動き出し、わずか半年で障害者総合支援法改正案への医療的ケア児支援の盛り込みや、子どもの医療に対する診療報酬の大幅プラス改定など、目覚ましい成果が上がった。最後に声を大にして言いたい。何のための権力争奪か、と。実現したい理想や政策のために、私は闘う。