カストロとアメリカ愛憎の深淵

90歳で逝ったキューバの革命児に、アメリカは可愛さ余って憎さ百倍。見誤るなかれ。

2017年2月号 GLOBAL [特別寄稿]
by 水木 楊氏(作家)

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カストロの死を悼んで市民が置いたキューバの旗と写真

Photo:AP/Aflo

ワシントンに駐在していた1982年のこと、知り合いのフランス人記者から耳よりな話を聞いた。ヘミングウエイの名作『老人と海』のモデルとなったグレゴリオ・フェンティスという老人がまだ健在で、キューバに行けば会えるという。矢も盾もたまらなくなり、ワシントンにあったキューバの連絡事務所に入国許可をほしいという手紙を書いたら、ややあって、広報担当者が会うという返事をしてきた。出向くと、意外にも好意的で、「米国からの直行便はないが、カナダからならモントリオール経由で行ける」とまで教えてくれた。

ときあたかもレーガン共和党政権、タカ派中のタカ派とあって、キューバはいまの北朝鮮のようなものだった。連絡事務所周辺には監視カメラがあったのだろう。身の回りに異変が起きた。自宅で誰かに電話をすると、がらんどうの部屋にいる相手と話をしているような、声が抜ける感じがある。盗聴されているのだ。気のせいか、尾行もついているようだった。

緊張から抜け出して、ハバナに着くと、エルンストという名の愛想の良い青年が案内人として待っていた。案内人という名の監視人である。

お目当てのグレゴリオ老人に会えただけではなく、ヘミングウエイの通ったバーで、彼が好んだ「モヒート」も飲ましてくれた。グレゴリオは「もっとミントを入れろ」とバーテンダーにわざわざ注文をつけた。『老人と海』の隠された、面白いエピソードも聞かせてくれたが、詳細は日本経済新聞の文化欄に書いたから、ここでは触れないことにする。

それよりも、エルンストにあちこち案内されているうちに驚いたことがある。まずクレジットカードの「VISA」が使えること。北朝鮮でVISAが使えるようなものだ。 

それに、カクテルの「CUBA LIBRE」。キューバ人が大好きなカクテルである。が、「自由キューバ」という名のこのカクテルは、米帝国主義の象徴のようなコカコーラとラムをブレンドしたものである。酒場の男たちが次々に「クバ・リブレ!」を注文しているのを見ると、悪い冗談を言っているように聞こえてくる。

あれやこれやを見ているうちに、キューバ人は「反米」を口にしながら、実はアメリカが好きなのではないかと思えてきた。昼は反米、夜は親米というやつである。

いまでは米軍による捕虜の不適切な扱いですっかり有名になってしまったが、キューバ島の端にはグァンタナモという米軍基地のあることにも驚いた。キューバ人の従業員がのどかな顔をして通勤している。北朝鮮や中国に米軍基地があるようなものである。

カストロ議長も米国で生まれた野球というスポーツが大好きだった。頭の先から足の指までアメリカが嫌いというわけではないようで、ストライクを「正球」、ボールを「悪球」、アウトを「無為」、フォアボールを「よっつ」などと無理して呼んだりはしていない。何しろ、「鬼畜米英」に燃える日本軍は、カレーライスのことを「辛味入り汁かけ飯」と呼ばせたのだから。

米国の雑誌で、北アメリカ大陸を紳士の横顔に、キューバをその喉元に突き刺さろうとするジャックナイフに模した漫画が掲載されたことがあるが、キューバに来てみると、アメリカ大陸は紳士どころか、獲物に跳びかかろうとしているヒグマのような圧迫感がある。実際、米国政府は「打倒カストロ」をねらって侵攻を試みたことがあるし、CIAの工作も盛んだった。

カストロは反米を貫くため、国内の反対勢力を締め上げ、時には弾圧もした。アメリカ資本主義に取り込まれるおそれが十分な市場経済を取り入れるわけにもいかず、経済は疲弊したが、それもこれも「自主独立」という、武士の一分を貫くための犠牲であったように思えてならない。

夜、「トロピカーナ」という壮大なスケールの屋外ナイトクラブに案内された。前方に小山があり、林立する熱帯樹の間から、褐色の豊満な女体がリズムに合わせ、身をくねらして登場する。裸体の国家公務員たちである。

やんやの喝采で迎えているのがたくさんのアメリカ人観光客。週一度マイアミからのチャーター便でやってきて、キューバ生まれのルンバやマンボがはじけるショーを楽しみ、帰りは入り口にある売店でキューバ葉巻を大量に買っていく。その光景を眺めていると、彼らにとってここは敵国なのだろうかと疑わしくなる。

いや、実は大方のアメリカ人は、カストロのような新しいことに挑む革命児が好きなのだ。第二次大戦の昔、アメリカ人が拍手喝采を送った毛沢東は、古きを倒し、新しきを創造した革命児だった。国務省にいまでも残るチャイナスクールはこの流れを汲む人々だ。

しかし、カストロがバチスタ独裁政権を倒したところまでは良かったが、アメリカ人やアメリカ企業の資産を国有化するにおよび、可愛さ余って憎さ百倍となった。

アメリカとキューバの間に横たわるアンビバレンス(愛憎)の深い淵――。その淵に落ち込んだのがヘミングウエイであろう。

ハバナに「ヘミングウエイ記念館」が開設されたとき、カストロ議長は喜んで出席し、『老人と海』を三回も読んだと語った。ヘミングウエイは「自分はヤンキーではない。キューバ人だ」とまで口走った。

だが、カストロ政権が米国人資産の凍結を始めた1960年、ヘミングウエイは20年間住んだハバナを後にしてフロリダのキーウエストに逃れた。しかし、彼の身にはFBIの監視の目がつねに光り、繊細な神経の持ち主は鬱病になる。相重なる電気療法に気力を失い、創作欲も消え、ついに愛用の銃で自殺。彼の死を伝えた日経社会面の三段見出しは「武器でさらば」。

亡くなったカストロ議長の評価は二分されているようだ。「偉大な革命家」「反米の旗手」、あるいは、「残忍な独裁者」「赤い植民地の総督」……。

しかし、イデオロギーにとらわれた、一面的な評価を下すだけでは、アメリカ人とキューバ人との間に横たわる、心の淵をのぞき見ることはできない。

(敬称略)

著者プロフィール

水木 楊氏(みずき・よう(本名・市岡揚一郎))

作家

1937年上海生まれ。自由学園最高学部卒、日本経済新聞社に入社しロンドン特派員、ワシントン支局長などを経て論説主幹。現在は自由学園理事長。

   

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