2017年3月号
連載
by 宮
「雪国男児」の米山隆一氏(自身のツイッターより)
「新しい城主」を迎えた新潟県庁
福島第一原発事故を検証する県の技術委員会(撮影/本誌 宮嶋巌)
苦節11年――。米山隆一新潟県知事(49)が書き綴るブログ「10年先のために」は興味深い。初回は05年衆院選新潟5区で田中真紀子氏に惨敗し、中学時代の同級生に呼び出され「集中砲火、サンドバッグ状態」になった反省の弁から始まる。09年衆院選も真紀子氏に大敗。3度目の12年衆院選は自民党から維新の会に移り、「土の中 7年待つや蝉しぐれ」(自詠)と捲土重来を期したが惨敗。4度目の13年参院選も大敗したため「客観的に次の挑戦のハードルは極めて高い」と自己分析。もはやこれまでと思いきや「耐えてこそ 浮かぶ瀬もあれ 蝉しぐれ」と詠み、挫けなかった。僥倖は昨秋、泉田前知事が突如出馬を断念したため、柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な「泉田路線」継承を叫んで、大逆転を演じた。
知事の古里は越後でも指折りの豪雪地帯の湯之谷村。養豚農家に生まれ、父親は元自衛官。現在はセイジロー肉店を営む。伝説の神童は灘高、東大医学部に進み、司法試験にも合格。医師で弁護士という赫々たる肩書で凱旋したが、その後の逆境はブログに赤裸々、未だに独身だ。
2月1日、知事は初めて柏崎刈羽原発を視察し、立地自治体の柏崎市長、刈羽村長と3者会談を7年ぶりに行い、東電と結ぶ原子力安全協定の明確化を進める考えを打ち出した。仮に原子力規制委の安全審査に合格しても、安全協定を結んでいる県の同意がなければ原発を動かせない仕組みゆえ、「県が動き出した」と推進派は色めきたったが、知事は新たに設ける健康被害、避難計画を含めた三つの検証委員会と同時並行で安全協定を改訂する考えを表明、「3~4年かかる」と明言した。 風雪に耐えただけ、土の中に根が張るもの。知事の1期目の任期満了は20年秋だから、向こう3年は再選を睨みながら世論を見極め、再稼働の可否は4年目に判断する腹だろう。