編集後記「風蕭蕭」

2017年9月号 連載

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「この1年の間、高い空から見下ろして私たちを見ていてくれたのでしょうか。悲しみに暮れるご家族を見守っていてくれたのでしょうか。これから私たちはどうしていけばいいのでしょうか。何を目指してやっていけばいいのでしょうか」

(津久井やまゆり園 入倉かおる園長・7月24日の追悼式)

園長の「生き場」を失わせているもの。それは我々である。重度の知的障害を持つ重複障害者の問題に取り組んでいる人はごくわずか。正義や憐れみから関心を持っただけの者はそこから先に深入りせず、残り大多数は存在すら知ろうとせず、本当に何も知らない。

差別や偏見と背中合わせの、一人ひとりの無視・無関心の集合体が、重複障害者を市街から離れた大規模施設に押しやってきた。やまゆり園ができたのは、東京五輪があった1964年のことだ。

その後、個人主義のヨーロッパはノーマライゼーションの理念を発展・加速させていくが、村社会である日本は、関連する法はできたものの根本は変わらなかった。

それどころか最近は、一部の文化人が障害者や透析患者に税金を使うのは無駄だと主張するなど、社会は不寛容を通り越えて、空恐ろしさを感じるほど荒んでいる。

今回の事件では、ロシアのプーチン大統領や米国のケリー国務長官が直ちに弔意を寄せ、日本のトップリーダーの静かさが際立った。茶の間には、人間は誰もが19人の命と尊厳を奪った植松聖被告と同じような考えを心の中に持っているという暴論、「内なる植松論」がテレビを介して侵食した。

重複障害者やその家族とこれからどう向き合うのか。ことは再び津久井の地に同様の施設を建てるか、小型施設を複数建てて分散収容するかの問題にとどまらない。

相変わらず知らないで済ませようとする社会が、園長からすべての自信をもぎ取っている。

   

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