「自分が仰天」日航新社長は超大穴

民主支援の京セラ稲盛色が残る人事。政権とヨリを戻せぬままの舵取り。苦労計り知れず。

2018年3月号 BUSINESS

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会見する日本航空の赤坂祐二次期社長(右)と植木義晴社長

Photo:Jiji Press

4月1日付で日本航空の社長に就任する赤坂祐二は毎年8月12日、御巣鷹山に登る。東京大学大学院で航空工学を学び、入社は1987年。ジャンボ機墜落事故の2年後だ。

「悲惨な事故を二度と起こさないよう力を尽くしたい」という思いが慰霊登山に向かわせるのだろう。

「とにかく真面目」。赤坂を知る人はそう語る。

30年間、一貫して整備畑を歩んだ。親分子分の関係が根強く残る同部門で、赤坂はその頂点に立っていた。人柄も相まって、部門内では「天皇」と呼ばれているが、会社全体では「赤坂って誰?」と言われることが多い。「後継指名に本人が一番驚いている」(日航関係者)と言われる人物は、なぜ社長に選ばれたのか。

経営破綻した日航は2010年2月京セラ名誉顧問の稲盛和夫を会長に迎え、社長に大西賢を据えた。「稲盛さんは、社長選びの面談に遅刻した大西さんが最初から気に入らなかった」(日航関係者)が、破綻の責任を取って辞任した西松遥たっての願いで「大西社長」は誕生した。しかし、稲盛はわずか2年で大西を会長に棚上げ。大西が灘高から東京大学という学歴からか、何かと上から目線でものを言うところも、稲盛が遠ざける理由だったのだろう。

御眼鏡にかなった「二番手男」

代わって社長に据えた植木義晴はパイロット上がり。戦前から活躍した時代劇俳優、片岡千恵蔵の息子で、育ちは良いが、パイロットとしての評価は必ずしも高くなかった。「新しく導入した機材を最初に飛ばすのは評価が最も高いエースパイロット。二番手グループのパイロットは米ボーイングから機材を日本に運んでくる役回りで、植木は『運び屋』だった」(日航幹部)

08年にはジェイエア副社長に出向したが、稲盛JAL発足の際に執行役員運航本部長として本体に復帰。ほどなく新設された路線統括本部長に就き、1便当たりの収支の把握に努めた。

ベンチャー企業の京セラが急成長した一因は、稲盛が部門別採算管理を徹底する「アメーバ経営」を導入したからだが、植木は日航にアメーバ経営の移植を徹底、稲盛のお気に入りとなって社長に抜擢された。

稲盛がエリートの大西を早々に見限り、二番手男の植木を抜擢した経緯を見れば、赤坂がなぜ社長に昇格したのかが分かる。泥臭く、素直な人材だったからにほかならない。「稲盛イズム」が踏襲された人事だったのだ。

「だからこそ今後が心配だ」と日航幹部は言う。

稲盛は1980年代に旧通産省や旧大蔵省の若手官僚が「京都に面白いベンチャー経営者がいる」と言って定期的に勉強会を開いたことで知名度を上げた。メンバーだった官僚が小沢一郎に引き合わせたことで永田町でも足場を築いた。

ちなみに「末は次官」と言われながら、接待疑惑で大蔵省を追われた中島義雄を京セラが引き取ったのは、中島がこの勉強会で幹事役だったからだ。

「中島の京セラ入りには社内の反対もあった。しかし稲盛さんは頑として譲らず、かつて受けた恩義を優先した」(京セラOB)。このように稲盛は元は永田町や霞が関に近い人物だった。

しかし、稲盛は09年の旧民主党政権誕生を後押しした。さらに活動を支援する国交相(当時)の前原誠司が依頼してきた日航再建を引き受け、政権交代後の安倍政権とは埋めがたい溝ができた。その一本気な性格ゆえ、今さら自民党にすり寄らない。「日航は稲盛さんの存在感がある限り、自民党政権下では全日空ホールディングス(ANAHD)の後塵を拝し続けることになるだろう」(前出の日航幹部)

しかしそれでは商売が上がったり。このため日航は秘書室長で常務執行役員の清水新一郎が中心となって政界工作を進めているが、「動き方が中途半端」と指摘する声は多い。

それには訳がある。清水が管掌する政策業務部は永田町対策を担う部署。現在の部長は中村寿男だが、その前任だった林浩一の人事が尾を引いている。林の父親は旧運輸省の大物次官だった林淳司。政界、官界工作をするにはうってつけの人物だったが、「林が経営について植木に直言したら、植木の機嫌を損ねた。その結果、16年4月に整備部門へ飛ばされた。それ以来、清水の行動原理は政府や官庁とのヨリを戻すことではなく、『植木ににらまれないように』になってしまった」(日航OB)。

徒手空拳「ジジ殺し」植木

「日航に対する公的支援で航空会社間の競争環境が不適切にゆがめられることがあってはならない」と記した「8・10ペーパー」。国交省のこの指針で、日航は約5年間にわたり新規投資と路線開設が制限されてきた。

13年3月の国内線増枠で国交省はANAHD傘下の全日本空輸に8枠を与える一方、日航には3枠しか配分しなかった。14年3月の国際線増枠も全日空11枠に対して日航は5枠。16年10月の米国路線では全日空4枠に対し日航は2枠。優先配分で、企業再生支援機構による3500億円の公的資金注入と、金融機関の5200億円の借金棒引きで再起した日航が図に乗ることを押さえてきた。

「8・10ペーパー」は17年3月に失効。日航はANAHDと対等の立場で競争できる環境になったが今年末から来年初めにかけて正念場を迎える。2020年の東京五輪・パラリンピック開催に向けて、羽田空港の国際線発着枠が約50便増える予定。それを各社がどう分け合うかの争いに、永田町や霞が関を知らない整備の天皇と政界工作に身が入らない実働部隊で勝てるのか。社内の不安はそこにある。

第1次安倍内閣が退陣した後もANAHDは安倍を物心両面で支援し、陣笠議員も面倒を見た。「向こうは政界工作で波状攻撃を仕掛けている。うちは経世会の奥ノ院に入り込むことだけに熱心な過去の手口から抜け出せていない。ジジ殺しの植木は『俺が何とかする』とばかりに奮闘しているが、いいようにあしらわれている」(日航幹部)

ある関係者はこう語る。「宮内庁には『ANAHDの段取りが悪すぎる。皇室の移動は日航が請け負って欲しい』という声がある。それはANAHD社長の片野坂真哉の耳にも入っているが対応が変わらない。宮内庁の要望を政府が聞き入れないと高をくくっているからだ」

日航関係者は「規制業種は政権と監督官庁に尻尾を振らざるを得ない。うちは今回の人事で稲盛流に見切りを付けるべきだったが敬虔な稲盛教信者の植木さんにはできなかった」と話す。それで一番困るのは実直な大穴社長なのだが。(敬称略)

   

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