待機児童の切り札「企業主導型」の定員が5万人を超えた。が、安全安心とは限らない。
2018年4月号
LIFE
by 治部れんげ(ジャーナリスト)
昨年7月、企業主導型保育所を視察する加藤勝信一億総活躍相(当時、中央)
Photo:Jiji Press
「企業主導型」の保育所が増えている。2018年1月31日時点で日本全国2190施設、定員は5万91人分に達した(公益財団法人・児童育成協会調べ)。 背景には待機児童対策がある。政府は17年度末までに50万人分、保育定員を増加させる目標を掲げ、保育サービスの供給を加速するため16年度に作られたのが企業主導型の保育所だ。認可保育所や小規模保育等、既存の保育制度に準じた職員配置、面積基準を満たす事業者に、補助金を出す。例えば定員12名の保育所を東京都特別区に新設し、保育士比率50%以上の場合は整備費約8千万円、年間運営費約2600万円の補助金が出る。
設置・運営面での柔軟性を評価する向きは少なくない。例えば保育所新設に際して、自治体の許可がいらない上、同じ地域の企業が複数で保育施設を運営することもできる。夜間勤務・短時間勤務の従業員も保育所を使いやすい。助成金の基準が公立や社会福祉法人の運営する保育所に準じているため、事業者間の競争がフェアな基準で行われる――といった具合だ。
ただし、良いことばかりではない。供給増を優先すれば、質が追い付かない。児童育成協会が17年4~9月に行った立ち入り検査の結果、432園のうち、303園で問題が見つかった。保育士が必要数に満たない、アレルギー対応マニュアルの未整備など、重大な指摘をされた園もある。保育は他の商品・サービスと異なり、直接的な受益者はものを言えない乳幼児。サービスの質に問題があっても事業者に改善要求は伝わりにくく、重大事故につながる課題でもそのままになってしまう。実際、都の事業所内保育施設支援事業の補助施設では、死亡事故まで発生している。
16年3月、東京都中央区の保育所で、1歳男児が死亡した。男児はよく泣いたため、他の子どもとは別の部屋にひとりだけうつぶせで寝かされていた。持病や当日の体調不良はなかったという。死亡事故が起きた園の運営を委託されたアルファコーポレーションは、都内を始め複数の保育所を運営している。中には衆議院第二議員会館内の「キッズスクウェア永田町」も含まれる。高級保育園で起きた事故にショックを受ける保護者は少なくない。
東京都が設置した検証委員会は17年3月8日に「東京都教育・保育施設等における重大事故の再発防止のための事後的検証委員会報告書」を発行している。報告書によれば、男児の死亡と保育のあり方の因果関係は立証されていない。ただし、委託元企業の意向に運営が影響されやすかったと指摘されたほか、保育園のスタッフが、園長含め保育士経験4年未満と経験が浅かった事実が判明している。子どものうつぶせ寝が危険という、よく知られている知識すら、なかった可能性もある。
今後も増え続ける保育所で、重大事故を防ぐためには事故の発生メカニズムを知る必要がある。公益財団法人・東京都保健医療公社多摩北部医療センター小児科の小保内俊雅氏らは「日本小児科学会雑誌」121巻7号で「安全で安心な保育環境の構築に向けて」と題した論文を発表している。そこでは09年以降、保育施設の増加に伴い、施設内での死亡事故が件数・発生率ともに増えていること、特に1・2歳児では死亡事故の76・5%が腹臥位(うつぶせ寝)で発見されていると示されている。
保育事故に詳しい寺町東子弁護士は話す。
「1歳児の死亡事故が多い背景には、この月齢の子どもが人見知りをすること、大人との愛着形成に時間がかかることがある。人見知りするからひどく泣く。他の子どもの保育等で忙しい保育士が、泣く子をうつぶせに寝かせて放置している間に死んでいる。保育士有資格者なのに、人見知りや愛着形成を知らないのはおかしい。
調理やお昼寝用の布団敷き、おもちゃの片づけなど、子どもに直接触れない家事的な仕事にも配置基準内の保育士の人手が取られている現場で事故が生じている傾向がある。国が定めた最低基準である1歳児6人を保育士1人で見るというのは、安全の観点から無理があり、1歳児の保育士配置基準は子ども3人に対して保育士1人が妥当だと思います」
保育所によって、保険の加入状況にも違いがある。
「保育園を経営する企業には、(認可園が多く加入する)独立行政法人日本スポーツ振興センターの無過失保険に入っていただきたい。万が一事故が起きてしまった時を想定して、園の責任を立証する負担を子どもや家族に負わせずに補償する保険に入る事業者に、保育園を運営してほしいと思います」
保育施設で重大事故が起きると、地域で検証委員会が開かれる。ただし、同じ施設や地域で何度も起きることは珍しく、現状はデータに基づく原因究明と対策が難しい。
こうした中、小保内医師や寺町弁護士を始め、保育園経営者、遺族、研究者等は今年2月2日、一般社団法人保育安全推進協議会を設立した。今春から、複数の保育施設の協力を得て園児のバイタルデータ(脈拍、体温、血圧等)を収集する。園児にかかるストレスの度合いを知ることで、保育のやり方を変えるエビデンスを得るという。
ところで、現時点でも、質の高い保育を提供している企業主導型保育所はある。自社の従業員の離職防止を目的に、保育所の運営を外部委託せず自社直営とし、保育士等を直接雇用。好待遇で優秀な保育士等を採用し若い世代にPRする企業の実例はメディアにも取り上げられている。新卒者が減少する中、こうした取り組みがますます注目されることは間違いない。
内閣府が作成した企業主導型保育事業事例集には、若い従業員から、先輩の子どもと接することで「子育てしながら働くイメージを持てた」、男性従業員から「子育てに今まで以上に関われるようになった」という声も紹介されている。労働力確保の対策として保育所を設置するなら、質の高い保育を目指してこそ、従業員のインセンティブにつながるはずだ。