東京電力廃炉推進カンパニー代表 小野 明氏

被災企業「エイブル」快挙 難路拓く「プロマネ」育成

2019年1月号 BUSINESS [キーマンに聞く!]

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小野 明氏

小野 明氏(おの あきら)

東京電力廃炉推進カンパニー代表

1959年生まれ。東大工学部卒。83年東電入社。発災8か月後に1Fに入り、13年~16年1F所長。原子力損害賠償・廃炉等支援機構執行役員を経て18年より現職。1F・2F勤務が18年に及ぶエキスパート。

――原子力損害賠償・廃炉等支援機構から福島第一原発(1F)に戻って9カ月が経ちました。

小野 発災3年目に所長を引き継いだ頃は、思わぬトラブルが相次ぎ1Fは「野戦病院」の有り様でした。防護服に全面マスクを着用すると視野が狭まり、怪我をしやすくなります。作業量が増えた14年度は労働災害が急増し、死亡事故も発生しました。当時の私の夢は1Fを普通の現場に近づけること。何とか一般作業着と自分のヘルメットと靴で現場に出られるようにしたかった。足掛け5年の除染とフェーシング(舗装)の努力が実り、18年には軽装備で作業ができる「グリーン(G)ゾーン」が構内の96%に拡大しました。

発災直後は線量が高く、女性の就業エリアを設けることができなかったが、今では女性も安心して働ける環境(震災前110人、現在84人)になりました。

――1Fと2Fの中間地点に「廃炉資料館」が開館しました。

3号機原子炉建屋

小野 事故の記憶と記録を風化させず、反省と教訓を継承するため、真っ暗な中央制御室の模様を再現し、水素爆発で揺れる現場で作業を続けた証言映像も公開しています。「生々しすぎる」という声もあるようです。

――東電、協力会社を問わず、決死の復旧作業に当たった皆さんの多くは地元出身の方でした。「私たちが思い込んでいた安全とは、驕りと過信に過ぎなかった」という、映像を締めくくるナレーションが、私の耳に残りました。

広野町のエイブル敷地内につくられた排気筒解体工事のモックアップ。 遠隔操作による切断訓練が繰り返されていた

小野 1Fが立地する大熊町と双葉町の大半は、今なお帰還困難区域ですが、地元企業のご協力がなければ廃炉作業は進みません。19年3月に始まる1/2号機「排気筒」の解体工事に取り組むエイブルさん(大熊町)は、震災前は1Fの改修工事業者でした。排気筒の根元の地下槽に溜まった高濃度汚染水を遠隔操作のロボットで抜き取りに成功し、脚光を浴びました。さらに大手メーカー等とのコンペを勝ち抜き、120mの排気筒の遠隔解体工事の元請けに選ばれた。被災した地元企業の快挙です。このほか1Fの食堂や売店、通勤バスや独単身寮の運営でも地元企業のご協力を得ています。

――3号機の使用済み燃料の取り出しが遅れています。

3号機最上階のオペレーティングフロア全景

小野 112ラインのケーブルを取り換えることで信頼性は格段に高まると思いますが、万一、不具合が発生した場合の手順作成や実試験にも万全を期します。

半世紀に及ぶ「廃炉道」の第一歩は建屋から燃料を取り出すことです。例えばガレキ撤去を始めた1号機の燃料プールの上には天井ブロックや屋根の鉄骨、クレーンなどが覆い重なるように落下しており、遠隔操作によるガレキの切断・撤去は3号機よりさらに難しい。その克服には土木、建築、電気、機械、遠隔の各部門が緊密に連携して、世界でここにしかない現場の「最適解」を見出さなければならない。それには計画の立案から人材・資金・資材の調達、日程・進捗の管理、運営実態の評価・分析を統括するプロジェクトマネージャーが不可欠です。3号機の調達・品質管理の失敗から、我々は多くの教訓を学びました。1Fというクリエイティブな現場には多くの優れた「プロマネ」が必要です。その育成が課題です。

(聞き手/本誌発行人 宮嶋巌)

3号機の使用済み燃料プール。 空間線量は500µ㏜を超える(撮影/本誌 宮嶋巌)

   

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