他罰の風潮が生む冤罪
2019年9月号
LIFE [病める世相の心療内科㉜]
by 遠山高史(精神科医)
絵/浅野照子(詩画家)
40過ぎの結婚式場で働く女性が沈んだ面持ちでやってくる。勤続15年のベテランで長らく新人の教育係を任されてきた。しかしある時、30歳くらいの新人女性に研修をしたところ、その新人がすぐに辞めるといいだした。彼女の指導が厳しすぎて到底ついていけないと彼女の上司にメールで訴えたのだという。
彼女は上司に呼ばれ、パワハラで訴えられかねないからと新人教育の役職を外された。今までなんのトラブルもなくやってきたことのどこが間違っていたのか。納得がいかなかったが、上司はもう時代は変わったのだと彼女に告げた。会社のため長年、真面目に努力してきたことへの評価の言葉もなかった。問題化を恐れる上司から注意を受けた彼女は自信を喪失し、ひどく落ち込み、うつ状態となった。
不本意でも会社を辞めるわけにはいかない。ずいぶん前に離婚しており、一人息子の教育費のため必死で働かざるを得ず、母親の介護を兄や妹に代わってやっている。その疲れから少々苛立っていたかもしれない、と彼女はいう。
PC関連の資格を持つ新人は、事務職に就くことを望んでいたが、彼女はまず、自分が新人だった時と同じように会場の整備やテーブルの配置、式に必要な小物の準備などについて指導した。そのことも新人女性には大きなストレスになったようだ。一体、それを時代が変わったとは、どういうことだろうか。
こんな例もある。少し知的能力が低く、特別支援学級にいる6年生の男の子の親が突然、学校から呼び出された。女の子につきまとい猥褻行為をしようとしたので、今後は電車での登下校時に親が付き添うか、あるいはルートを変えるようにと言われたのである。
彼が帰りの電車に乗りこんだ時、電車はガラ空きで、座席の端に同じくらいの年ごろの女の子が座っていた。彼はその子の隣に座ったのである。空席だらけの電車であえて女の子の横に座ればあらぬ嫌疑をかけられる恐れはある。その女の子は彼の名札を見て記憶し、つきまとわれたと父親に報告したのである。
二つ先の駅で彼女は降り、彼はその後をつけたわけでもなかったが、父親は彼の通う学校の校長に「娘に彼を近づけるな」と強く抗議した。「猥褻行為をしようとした」という訴えは言い過ぎだった可能性もあるが、学校は大した事実確認もせぬまま登下校時の付き添いを言い渡した。こっぴどく親に叱られた彼は以後部屋に引きこもり、学校に行こうとはしなくなった。
件の教育係の女性や支援学級の男の子が一方的に制裁を受けたのはおかしくないだろうか。ある法律家に尋ねると、こちらが意図していなくても相手にそのように受け取られれば問題とされ得る、とのことだった。時代が変わったとは性善説から性悪説に人の理解が変わったということか。
外来には、うつに悩む人が多数やってくる。原因はさまざまだが、恋人に死なれた、ひどい災害に遭った、同級生に殴られた、というケースは少ない。ここに示した事例のように意図しないことで針小棒大に非難され、それを呑まざるを得ない状況が引き金になることが少なくない。深層心理学的に、うつ状態とは我慢が行き過ぎ怒りを外に出せなくなった状態をいう。日本は平和や豊かさを謳歌してきたが、学校や職場では、性悪説に基づく他罰の風潮が吹き荒れている。そのなかで行き過ぎた対応によって濡れ衣を着せられ、うつに陥る人も多いのだ。