「パニック障害」急増の主因
2020年3月号
LIFE [病める世相の心療内科㊳]
by 遠山高史(精神科医)
絵/浅野照子(詩画家)
良い歌は数知れずだが、好きな歌を三つ挙げよと言われたら「ゴンドラの唄」(誰が歌ってもよい)、「矢切の渡し」(ちあきなおみが歌うに限る)、そして森山直太朗の「さくら」と答える。これらの歌は、時間の流れをまるで目に浮かぶように感じさせてくれるように思え、それが胸を打つ。
前回、人間とPCは成り立ちからして全く違うと述べた。つまびらかに言えば、人には固有の時間の流れがあり、それが人の仕業と切り離せないが、PCには固有の時間の流れはない。PCの時計は分離でき、挿げ替えることもできる。一方、自然はその本質に時間を内在している。前回述べた決定論的仕組みとは、時間軸を外して作られた機械のような人工物を指している。機械は道具として使うことはあり得ても、人間と一体となり得るはずはない。しかし、機械であるAIが人間の代わりになるような喧伝がなされている。
パニック障害という病がある。最近とみに増えている。この病はある人工的な場に遭遇したとき突然、心臓が動悸しだし、冷や汗をかき、そのうち死ぬのではないかという不安に打ちのめされ、身体が言うことを聞かなくなる、といった現象である。パニックが起こる状況やきっかけは人によって異なるが、たいていは、にわかに逃げ出せない場所にいると思ってしまった時に起きる。たとえば電車に乗った時とか、バスに乗った時、あるいは飛行機に乗った時、高速道路で渋滞に遭った時など。何事も遜色なくこなしてきた人が、ほんの些細なことで文字通りパニックを起こすのである。
この病、主として脳の中の危機を察知するセンサー(扁桃体)と、過去のデータから危機の度合いを判定し行動の指針を作る部署(海馬)とのバランスの悪さが主因とされている。つまり、大したことでもないことに、大事件が起きたのと同じような不安を募らせてしまい、体中が大騒動になってしまう突発性の病である。
そもそも自然の中には電車も飛行機も存在しない。自然の一部である人の身体からすれば、どちらも恐ろしく異質で、怪しげなものである。それは、野生の生き物を電車や飛行機に乗せてみればすぐにわかる。たちまちパニックを起こす。車に乗せても犬が慌てないのは人間が教え込んだからであり、人間が慌てないのは、脳が慌てるなと言うからである。しかし身体のほうは、自然が培った危機意識が残っているから、脳の言うことにすべて納得するとは限らず、自然にはあり得ない人工物に遭遇することで、身体のほうから強い不安が引き出され、パニック発作を起こすと考えられる。
実際、パニック発作は精神の病ではなく身体の病として定義されている。ITという人工物は巨大な生産性と人の振る舞いに模した働きによって、人々の感覚を痺れさせている。つまり人に固有の時間を封じ、機械の時間に取り込み始めている。人が生物としての時間を失い、機械に同化してゆくということである。そのことへの不安からパニック障害は生まれるのかもしれない。
ITに携わる人々にこの病は少なくない。もはや自然は遠く、ディスプレイの中には華やかだが時間のない造花のような人工物の世界が繰り広げられ始めている。良き歌は生きた花のように、時の流れの愛しさと悲しみを表す。せめて、そのような歌に浸り、痺れた己の心に自然を少しでも取り戻そう。