閨秀歌人の悲恋と国宝「源頼朝像」に仕掛けられた〈爆弾〉
2020年12月号 LIFE [美の来歴]
高倉天皇の中宮、平徳子に仕えた建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきようのだいぶ)は、才色兼備の閨秀歌人としてその名が伝わる。父親が書論『夜鶴庭訓抄』で名高い能書家の藤原伊行(これゆき)、母親が石清水八幡宮の楽人の娘で筝曲の名手の夕霧、華やかな才知と容色は想像できる。皇族や平家の公達との歌の贈答はもちろん、琴や笛など管弦の遊びでも王朝末期のサロンの花形であったのだろう。保元・平治の乱の武功によって後白河上皇を支えた平重盛の次男、平資盛とわりない仲になったのは、宮仕えを退く少し前のころだったようである。3歳ほど年下だった公卿の資盛も和歌に優れて『新勅撰和歌集』などに名を残している。源氏の挙兵で争乱が高まると、平家を率いる若い武将として、兄の維盛とともに叛乱軍の鎮圧にあたったが、一ノ谷の戦いで源義経の軍勢に大敗して都落ちと敗走に身を投じた。 ………
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