6月に完全引退。就任当初は世襲批判もあったが、仕上がりは6兆円企業にする辣腕。
2022年2月号 BUSINESS
鈴木氏は22年間続けてきたHOYAトップの座を譲る
Photo:Jiji press
半導体製造材料やメガネ、医療機器などを手がけるHOYAの経営トップが約22年ぶりに交代する。創業家一族の鈴木洋代表執行役CEO(最高経営責任者)が3月1日付で退任し、後任に池田英一郎執行役CTO(最高技術責任者)が就任する。鈴木氏は6月下旬に開催予定の定時株主総会で議長を務めた後に取締役からも退く。時価総額で6兆円を超える企業に育てた実力経営者の退任は、日本のサラリーマン経営の不甲斐なさを際立たせている。
「退任はサプライズだ。しかしタイミングとして絶好ではある」。HOYAを長年ウオッチしてきた証券アナリストは、突然のトップ交代をこう評した。
業績は5年連続の過去最高益を視野に入れた。2021年3月期の連結売上収益は5479億円と1兆円にも満たない規模の会社だが、時価総額は6兆円を超え、社長就任時から6倍以上に引き上げた。半導体ウエハーに回路を転写する際に使う「マスクブランクス」は、最先端の微細化技術「EUV」が好調。半導体は空前の活況が持続しており、後任は経営のバトンをスムーズに受け取れる。
サプライズだったのはタイミングだけではない。鈴木氏が取締役からも退き、経営の第一線から完全に引退するためだ。現在63歳。現役でCEOを続けられる年齢だ。「鈴木氏は嫡男にトップの座を将来、譲ると思っていた」(HOYA元幹部)との声もあった。
HOYAは1941年に山中正一氏が東京・保谷町(現在の西東京市)にガラス製造を手がける東洋光学硝子製造所として創業した。昨年、創業80周年を迎えたが、今は半導体や液晶パネル材料、ハードディスクガラス基板などの「情報・通信」事業と、メガネレンズや眼内レンズ、内視鏡などの「ライフケア」事業が2本柱。世界160カ国以上の拠点で事業を展開し、世界で約3万7千人の従業員を抱えるグローバル企業だ。
退任する鈴木洋氏は創業家である山中家の娘婿で、HOYA元社長だった鈴木哲夫氏の息子。哲夫氏は業績不振だった会社を立て直し、多角化への道を開いた「中興の祖」と言われる。洋氏は東洋大学、メンロー大学を経てHOYAに入社。00年に40代の若さで社長に就任した。
就任当初は周囲から偉大な父親の七光りとみられることもあったが、早くから独自色を発揮した。米国流の「事業ポートフォリオ経営」の導入がそれ。事業環境の変化に応じて、投資配分を決める。この経営手法の要諦は管理の徹底で、収益性が高く成長が見込まれる分野や地域を絞り込み、経営資源を集中投下する。一方で収益性が低く、成長を見込めない分野や地域などからは、迷うことなく縮小・撤退する。
創業初期の同社を牽引し、約60年の歴史があったクリスタル事業からはあっさりと撤退を決めた。市場関係者から技術の「目利き力」があると評されるきっかけとなったのは、07年に「G10」と言われる大型液晶パネル向けのフォトマスクの設備投資を見送った判断だ。
当時はシャープが大阪府堺市にG10を採用した世界最大の液晶パネル工場の新設を決めたタイミングだった。しかし鈴木氏は供給過剰を見越し、あっさりと投資を見送った。
鈴木氏はCEOの役割について、「常に念頭に置いているのは、限られた経営資源をいかに最適に配分するかという点だ。将来の成長分野に人材、資本をシフトさせ、逆に成長が見込まれない分野は『聖域』を持たずに縮小する」と述べていた。
日本の大手企業のサラリーマン経営者も似たような発言はする。しかし実際にそれを実行するかしないかで雲泥の差がある。1990−2000年代に日本のエレクトロニクス業界でもポートフォリオ経営がもてはやされたが、経営不振に陥らない限り事業の撤退・縮小には踏み切らなかった。背景にあったのは「先輩たちが育てた事業から簡単に手を引くわけにはいかない」というしがらみだろう。鈴木氏にはこれがない。
新陳代謝を進めていくうえで、成長分野と定めたのは、ライフケア領域だ。内視鏡大手だったペンタックスを買収した後、関連する手術器具メーカーも相次ぎM&Aで取り込み、事業基盤を固めた。メガネレンズもセイコーエプソンから関連事業を買収し、米国や中国、ブラジルなどでもメガネレンズの販売・製造事業会社の買収を進めた。
ただ、こうしたポートフォリオ経営は、鈴木氏の経営の一面でしかない。「本質的な凄さは、事業のオペレーションにある」(幹部)。それはHOYAの業績に如実に表れている。21年3月期の売上高純利益率は22.9%と2割を超える。
HOYAは事業部に経営の権限を移譲し、独立採算で事業を回す。鈴木氏は事業部の予算と実績を徹底的に管理し、投資に対するリターンの最大化をはかるスタイルをとる。「朝から深夜まで予算会議をすることもある。経営の細部、お金へのこだわりは半端ない」(元幹部)。予算を引き出すため、事業部も必死で戦略・戦術を練る。その緊張感が高収益に結びつく循環を築き上げた。
ただし信賞必罰も厳しい。「業績の良い事業部長クラスになると年収は4千万円超もいるが、業績が悪いと逆に賞与が出ない」(OB)という。人事・給与体系、採用などは事業部ごとにすべて違う。「人事交流やローテーション人事はほとんどなく、同じ会社でも事業部が違うとお互いを知らない」(同)。
サラリーマン経営だと社内に出身母体ごとの派閥が生まれ、醜い権力闘争が起きるが、「仕事ができる人の給料を上げて、そうでない人は下げる。成果主義を徹底しているので派閥争いがない」(幹部)。
もちろん、鈴木氏の徹底した合理主義経営には反発もある。特に鈴木氏以前のHOYAを知るOBからは「銭ゲバ経営」「拝金主義」と鈴木氏の経営を蔑む声が聞かれる。だが、そんな声も鈴木氏には馬耳東風だった。
鈴木氏は12年にシンガポールに移住している。「課税逃れ」と後ろ指を指されることもあるが、HOYAを時価総額6兆円企業に育て上げることで経営者としての評価を一変させたように、経営を退いた後の人生でも世間を驚かせるのだろうか。その動向が注目される。