英ネーチャーまで憤激「理研大量雇い止め」

名門・理研など計4500人雇い止めを世界が白眼視。「選択と集中」による残酷物語、そのダメージは計り知れない。

2022年9月号 BUSINESS
by 榎木英介(一般社団法人科学・政策と社会研究室代表理事)

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雇い止め撤回を求める訴訟を起こし、記者会見する理研の研究者=7月28日午後、東京都内

Photo:Jiji Press

「disposable」(使い捨て)―。記事に衝撃的な見出しを掲げたのは、イギリスの科学雑誌ネイチャー。誰もが知る世界有数の科学論文誌だ。ネイチャーがニュースとして伝えたのが、日本の研究者4500人が雇い止めの危機にさらされているという厳しい現状だ。ネイチャーだけではない。サイエンス誌も取り上げた。日本が研究者を「使い捨てている」という情報は、瞬く間に世界の科学界に拡散したのだ。

一体何が起こっているのか…。

2022年3月、理化学研究所労働組合(理研労)は記者会見を開いた。理化学研究所(理研)では、23年3月末で600人を超える研究者が雇い止めに遭うという。その中には60人以上の研究室主宰者(チームリーダー)が含まれ、その研究室で働く職員300人も、ともに雇い止めされる可能性があるという。神戸の研究所は、なんとビルひとつ分丸ごと研究室が全て雇い止めになり、解散の危機に直面している。

若手優遇が若手を苦しめる

神戸市にある理研計算科学研究センター(理研ホームページ)

危機にあるのは、理研の研究者だけではなかった。参院内閣委で田村智子氏(共産)の質問に対する文部科学省の回答で、全国の大学・研究機関には、23年度末で雇い止めになる可能性がある研究者が4500人にも上ることが明らかになった。それが冒頭のニュースとして拡散されたのだった。

なんでこんなことになるのか。13年に改正された労働契約法が関わっている。同法では、継続して5年間、有期雇用契約が更新された労働者に対し、無期雇用への転換を申し出る権利(無期転換権)が与えられることになった。「無期転換ルール」、いわゆる「5年ルール」だ。

労働者に安定した雇用を提供する趣旨である「無期転換ルール」だが、法改正案が公表された当初から、雇い止めが誘発されるのではないかとの懸念が沸き起こった。いったん無期雇用にすると、資金が途絶えたり、経営が苦しくなった時に解雇することが難しくなったりするのではないかという雇用者側の都合で、無期転換権が与えられる前に雇用を継続しない、つまり雇い止めが行われるのではないかと予想されたのだ。

改正案への懸念は研究業界からも出た。若手研究者は半数以上が任期付きの職に就いており、5年では十分な成果が出ないまま雇い止めされる若手が出る恐れがある。04年の国立大学の法人化以降、国立大学の基盤的な資金である運営費交付金は減額され続け、5年程度のプロジェクト単位の研究費を獲得することが研究者に求められている。この状況で、先の見通せない長期雇用を数多く行うのは困難だと考えられていたからだ。

こうした声を受けて、「研究開発力強化法」(現科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律)が改正され、5年の無期転換権付与は研究者に限り10年となった。これが「10年ルール」だ。

10年もあれば研究者にとって業績を出すには十分な時間であり、その間に優れた業績をあげれば、常勤ポストの獲得ができるだろうし、成果が出なければ、別の道を模索することもできるだろう、という「配慮」だったのだろう。

しかし、この10年間で研究者を取り巻く状況は悪化した。トップダウンで一定期間大型予算を特定の研究者に配分する「選択と集中」の傾向は強まり、大学や研究機関の常勤ポストは増えなかった。運営費交付金の減額率は減少したが、その分「改革」に応じたインセンティブをつけた配分の割合が高くなり、継続して予算を獲得する見通しがより不透明になった。

また、若手研究者を手厚く援助するという政府の方針が、逆に研究者の環境を悪化させた。文部科学省は運営費交付金のインセンティブとして大学に40歳以下の若手研究者の比率を高めることを要求したが、大学は常に若い人を雇う必要があるため、若手に任期の定めのない職を提供しにくくなった。

こうしたことが重なり、10年間業績を出し続け生き残っても、研究費を獲得し続けても、無期転換権を獲得する前に雇い止めされ、かつ次の職を探すこともままならないという状況が生まれた。当たり前ではあるが、10年のうちに人は10歳年を取る。30歳だった人は40歳になり、若手ではなくなってしまう。

業績は関係なく雇い止め

苦境に直面する若手研究者を救うはずだった若手優遇策が、逆に若手の使い捨てを促す。若手でなくなれば首を切る。まるで常に若さを求められる女子アナウンサーのようだ。

確かに、ノーベル賞受賞者が受賞対象の研究を行ったのは30代が多いというデータもある。若い才能に自由を与えるのは、優れた研究を行ってもらうために合理的ではある。次々と若い才能が研究の世界に参入し、猛烈な競争の末一部の勝ち組を生み出す構造は芸術、スポーツ、企業も同じ。栄光、栄誉を求めて人材が殺到する。

では、サイエンス分野はどうか。確かにノーベル賞受賞で得られる光は眩しい。しかし、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授がクラウドファンディングで研究費を集めるほど、多くの研究者は研究費獲得すらままならない状況が続いている。予算獲得のため、職を得るために書類書きに追われ、研究に集中する時間はない。

22年7月末、理研のチームリーダー(主任研究員)の60代の男性が、雇い止めは不当だとして、労働契約の地位確認などを求める訴えを起こした。男性は理研のホームページで研究成果が紹介され、25年3月まで国からの研究費(科研費)を交付されているほど優れた業績の持ち主だ。これほどの研究者でも雇い止めされようとしているのだ。

研究者として業績が少ないから雇い止めはやむなし、力がない自分を呪え、という段階ではない。フェーズが変わった。こうした状況は世界中の研究者に知られ、世界からも懐疑的な目が向けられるようになった。世界的な人材獲得競争の中、日本の優位性はますます低下することになるだろう。そして、国内の研究者はチャンスを求めて海外に流出していく。ついには、研究業界そのものが若者からそっぽをむかれてしまい、人材が集まらなくなってしまう。ノーベル賞が取れなくなるだけでは止まらないダメージとなる。

山が高くなるためには、広い裾野が必要だ。一点豪華主義の歪な選択と集中は、高いビルや塔を建てるイメージなのだろうが、山とビル、塔では高さの桁が違う。トップだけを優遇する日本の研究は、世界の第一線から脱落する瀬戸際だと言える。

訴訟をすれば再就職に影響が出る可能性もある。それでも理研の男性は、こうした状況を変えたいと、覚悟で訴訟に踏み切った。男性の勇気を讃えたい。提訴を受けて理研やその他の大学、研究機関がどのような行動をするのか、日本中、いや世界の研究者が注視している。関係者には日本の研究の未来のための英断を期待したい。

著者プロフィール

榎木英介

一般社団法人科学・政策と社会研究室代表理事

フリーランス病理医(医学博士)。著書に『博士漂流時代』(科学ジャーナリスト賞受賞)、『嘘と絶望の生命科学』(文春新書)など。

   

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