カリスマと崇め奉られてきた元会長はなぜ、大阪万博の催事検討会議の共同座長就任を機に、古巣との関係を一切絶ったのか。
2024年7月号 BUSINESS [危うさ満載]
「笑い」をテーマとした民間パビリオン構想を発表するカリスマ大﨑(2022年5月30日)
Photo:Jiji Press
2024年4月24日、吉本興業ホールディングスのホームページに「コーポレートガバナンスの強化等について」と題する長文の声明が掲載された。週刊文春が昨年12月から続けたダウンタウンの松本人志氏(60)の性加害疑惑報道などを受けた内容で、具体的には昨年7月から取り組んでいるコーポレートガバナンス(企業の内部統制)体制の整備・強化や、コンプライアンス(法令順守)意識の向上を図ることを謳っている。
声明はその最後に「2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)への取組み」として、「改めて、吉本興業グループ行動憲章をはじめ、様々な理念・方針等を遵守する必要性を再認識している」と強調。その上でこのように締め括っている。
「なお、当社は、大阪・関西万博の開催・運営における中立性や公正性を害することがないよう、日本国際博覧会協会による公募案件を含め同協会が発注する事業は受託しないことを既に取締役会において決定していることを申し添えます」
「事業化支援プロジェクトチーム」の立ち上げ(2023年8月17日)。大﨑氏(中央左)と中村伊知哉iU学長(中央右)大阪・関西万博公式サイトより
この一文に違和感を覚えた向きも少なくないはずだ。なぜなら25年大阪・関西万博(以下、大阪万博)のイベントを企画・検討する催事検討会議の共同座長には、昨年4月末まで同社代表取締役会長を務めるなど、長年にわたり「吉本の顔」として君臨した「カリスマ」経営者、大﨑洋氏(70)が就任しているからだ。
1978年に吉本に入社した大﨑氏は、同社の数多くの人気タレントのマネージャーとして活動。無名だったダウンタウンの初代マネージャーとなり、松本氏と浜田雅功氏(61)のコンビをスターダムにのし上げるなど、その能力と先見性は芸能界で高く評価された。01年に同社取締役に昇格し、09年には第11代社長に就任。暴力団など反社会的勢力の経営介入は同社の長年の懸案事項だったが、同氏はこれを防ぐ狙いから10年2月、約60年前に上場した同社株式の非上場化を実現させる。19年6月には社名変更した吉本興業ホールディングスの会長に就任し、音楽・出版、デジタルコンテンツ、映画など数々の新規事業を打ち出した。吉本を「エンタメの総合商社」に育て上げた同氏は、文字通りのカリスマ経営者として長年崇め奉られてきた。
だが23年5月から大阪万博の催事検討会議の共同座長に就任することが決まると、それに先立つ同年4月27日付で吉本興業ホールディングスの代表取締役会長を退任。さらに同年6月29日付で同社取締役も退いた。吉本との関係を完全に切った同氏には、古巣からの報酬の類は一切支払われておらず、仕事面の関わりも全くない。つまり昨夏以降の大﨑氏は名実ともに吉本と無関係で、それが自身の決断によることは、メディアとのインタビューで繰り返し述べている。一例を挙げよう。
「自分が選んだ岡本(昭彦)社長(57)にバトンタッチできて、そんな幸せなことないなと思いました。僕がいつまでもおって『大﨑が院政をしてる』とか言われ続けるのは(中略)岡本社長もやりにくいだろうし、後輩から見てもかっこええとは思わへんやろうし、それならさっさと辞めたほうがええな、よし、辞めよう! と決めました」(同年9月21日付「日刊サイゾー」)
ある在阪のテレビ局関係者は、大﨑氏が自ら進んで吉本との関係を断った理由を次のように話す。
「2年以上前に政府から『関西企業である吉本で大阪・関西万博を盛り上げてもらえないか』と打診され、最終的に大﨑さんの催事検討会議の共同座長就任が決まりました。大﨑さんは東京五輪・パラリンピック談合事件が摘発された事態を受けて、『形の上で吉本と繋がっているだけでも、それを理由に犯罪者にされかねない。そんなことになればたまったものではない』と判断。共同座長就任を前に吉本を完全に退職し、吉本との関係を一切断つ決断を自ら下したのです。実際、刑事弁護の経験豊富な弘中惇一郎弁護士との対談では、『うかつなことをして下手を打ったら、特捜検察にあらぬ疑いをかけられるんじゃないかと。それが心配で夜も眠れない』と、偽らざる心境を明かしています」
また万博協会関係者は、件の声明の最後の一文が意味するものについてこう話す。
「大﨑氏と吉本は完全に切れてはいるものの、あらぬ疑いをかけられないためにも、吉本としては同氏の共同座長就任以降、公募案件を含む万博協会発注の事業や催事イベントを一切受託しておらず、今後も受託しないと決めたものです」
ただ、催事検討会議の共同座長という立場に関して、大﨑氏は大きな勘違いをしていたようだ。前出の万博協会関係者が明かす。
「大﨑氏は大阪・関西万博をスタートアップ(新興企業)支援の場だと強調しています。同氏は『共同座長という公的な立場に就いていれば、自分が万博終了後に計画しているスタートアップの支援についても、経済産業省が資金を出してくれる』と思い込んでいた。ところが経産省はあくまでも、万博という国家行事の資金を付けるわけで、万博終了後の同氏の個人的な目論見にカネを出すことなどあり得ない。その辺りの事情を正しく理解していなかったのです」
複数のマスコミ関係者によると、吉本との関係を絶って共同座長に就任して以降、大﨑氏は各方面であからさまに「カネがない」「カネが付かない」とぼやくようになったという。
大﨑氏がカリスマ経営者として崇拝される一方で、大向こう受けするその経営姿勢に疑問を呈する声も聞かれるようになっていた。
所属タレントによる闇営業問題が発覚した19年6月以降、吉本は内部統制や法令順守意識の徹底を図り、同年8月には経営アドバイザリー委員会を設置して、恒常的に外部の弁護士や有識者のアドバイスを受ける体制の構築を進めた。ところがあるマスコミ関係者によると、大﨑氏は同委員会終了後の記者会見に顔を見せたことがなかった。
中多広志氏(iUのサイトより)
また、このマスコミ関係者は「とりわけ会長就任以降の大﨑さんの経営姿勢は正直なところ、かなり危ういものがあった」と証言し、こう続ける。「旧郵政省出身のタレント学者でiU(情報経営イノベーション専門職大学)学長の中村伊知哉氏(63)らを社外取締役に登用したり、発言や行動は面白いけれど危ない真似を憚らない胡散臭い連中を周辺に侍らせたりするようになりました。ところが彼らは吉本の現場の実情を何一つ知らない。世間的にはそれが『クリエイター大﨑』などと持ち上げられる一因だったとしても、自身の『イエスマン』と化した彼らを重用する姿勢に批判が高まっていました」と。
ただ、大﨑氏の完全引退により中村氏らも昨年6月末で退任。さらに大﨑氏が吉本を完全に去った昨年7月以降、吉本は企業統治体制や法令順守意識のさらなる強化を進め、社外有識者を交えたガバナンス委員会を設置するとともに、複数の外部弁護士をコンプライアンスアドバイザーとして招聘した。
昨年12月26日に文春オンラインが松本氏の性加害疑惑を報じた際は、当初こそ混乱が見られたものの、約1カ月後の今年1月24日には、同委員会の指摘・助言を受けた「週刊誌報道等に対する当社の対応方針について」を公表し、激高する世論の鎮静化に一定の成果を挙げた。
こうした中、誰憚ることなく「カネがない」「カネが付かない」とぼやいていた大﨑氏が、かつてのシンパを再度糾合して暗躍を始めているという。
「実際のところ、大﨑さんの頭の中で吉本との関係はグチャグチャの状態です。4月24日の声明が出された後、『吉本の中でコンプラ推進派がおかもっちゃん(岡本社長)を洗脳している』などとあちこちで公言している。関係が完全に切れたと自覚できていれば、そんな見当違いの発言をするはずがありません。それに吉本を離れた後は中村氏や、吉本株式の非上場化に中心的役割を果たして大﨑さんの『懐刀』といれてきた中多広志氏(63)ら、かつての取り巻きが事業やイベントで自分を助けてくれると期待している節があります」(別のマスコミ関係者)
その「兆候」と見られるのが、大﨑氏を発起人とする「社会が抱える様々な課題に対して(中略)事業化支援を行うプロジェクト」の発足だ。去年8月17日に行われた記者会見には大﨑氏や中村氏ら4人が登壇。そして、この会見の約2カ月後の10月5日、中村氏を代表理事、中多氏を理事とする一般社団法人「ソーシャルインパクト」(SI)が、前述の記者会見が行われたリーガロイヤルホテル(大阪市北区)の客室に設立されたものの、ホームページに電話番号やメールなどの問い合わせ先すら記されていない、典型的なペーパー法人である。ところが、このSIが設立わずか2カ月後の昨年12月7日、一般競争入札で「令和4年度大阪・関西国際博覧会政府開催準備事業」を約2600万円で落札していた。『現代ビジネス』の取材に対し、代表理事の中村氏は「SIは経産省関連の調査を請け負い、政府プロジェクトをいろいろ調査研究するが、実態はペーパーカンパニー」などと話している。
また、入札に対する共同座長としての影響力行使や「口利き」の疑いについて尋ねられた大﨑氏は、「記者会見以降、SIにはタッチしておらず、口利きは全くない」とする一方、SIが落札した事実は知っていると答えるなど、不透明感は拭えない。
さて、中村氏とともにSIの理事に就いているのが、大﨑氏の懐刀とされる前述の中多氏だ。大﨑氏と同じ関西大社会学部を85年に卒業した同氏は米国に渡り、MBAや米国公認会計士資格を取得した後、88年から97年まで所属した長銀(日本長期信用銀行、現・SBI新生銀行)総合研究所や長銀企業金融部でメディア関連のM&Aなどに携わった。大﨑氏の誘いで98年に吉本のグループ会社に入社した後、09年7月に同社本体の取締役経営・財務戦略本部長(CFO)に就任。大﨑氏に指示された吉本株式の非上場化に向けてTOB(株式公開買い付け)を実施し、1万6千人いた株主から保有株を強制的に買い上げる「奇手」を使って非上場化を実現させた。その際には大﨑氏とともに個人で420億円の連帯保証人となった「同志」でもある。
しかし、中多氏を知る関係者からの評判は芳しくない。同氏の同僚だった元長銀幹部は「彼が手掛けようとするM&Aの手法は胡散臭いものや質の悪いものが多かった。長銀OBの間では今も『中多には近づくな』が合言葉」と手厳しい。株式市場関係者によると、06年2月に大証ヘラクレス市場に上場し、わずか1年半で上場廃止となった吉本の子会社「ファンダンゴ」(10年7月に解散)の悪名高い「食い逃げ上場」にも、その影がちらつくという。
13年7月に吉本を退社した中多氏は、退社前に日本と米国に設立していたコンテンツ制作・配信会社「キープツリー」代表取締役に就任。17年4月には同社日本法人を「ブルー・プラネットワークス」(BPw)と社名変更し、同年8月までにANAホールディングスなどから総額約110億円の資金を調達、米政府機関が利用しているというサイバーセキュリティの技術を保有する「アップガード」の権利を取得して、これを日本で販売した。BPwには大﨑氏個人も3千万円を出資しており、この事実だけでも大﨑氏が吉本退職後の中多氏と親密な関係にあることが窺える。
BPwグループは18年2月から同年7月までの間、何とも不可解なグループ再編を行った。そしてBPwは19年12月期、突如として約107億6千万円もの子会社株式評価損を特別損失として計上。同期の営業収益がわずか約5億4千万円なのに対し、当期純損失は約125億円にも上った。中多氏は同月で同社代表取締役を辞任(登記簿上は20年2月)、3月に取締役も退任した。この巨額損失について、前出の元長銀幹部が解説する。
「アップガード(18年5月に株式会社化)の事業可能性が想定以上に早く消滅したからだろう。それにしても資金調達からわずか2年で、調達額とほぼ同額の評価損を計上するとは、タイミングが早すぎる。他に何か特別な理由があったのではないか。何よりそのカネは一体どこに消えたのか」
そしてBPwに15億円を出資して相応の損失を抱えたはずのANAなどの株主企業は、なぜか音無しの構えだ。税務や会計に問題はないのか、監査法人は正しく監査していたのか……素朴な疑問が次々と湧き上がって来る。
実は本誌編集部に4月初旬、当の中多氏と思しき人物から長文の情報提供メールが届いている。その内容を要約すると以下の通りだ。
「BPwは20年第1四半期の米ナスダック市場上場を目指し、会社法監査を行っていたPwCあらた有限責任監査法人の担当者から国際会計基準での監査の実施を確約されていた。ところが19年10月、PwC内部の事情で監査を受託できない旨回答され、PwCの国際会計基準の監査ありきで進めていた準備がすべて無駄になったため、責任を取って20年2月に取締役を退任することになった。17年後半に自分が投資家の男性(メールでは実名)らと3人で、PwCJapan顧問だった男性の経歴詐称をメディアに伝え、この男性を追放したことから、PwCは監査を途中で降りただけでなく、今も様々な形で自分に脅しをかけてきている」
実際の文面は文脈が支離滅裂でわかりにくい上、前述した19年12月期の巨額の子会社株式評価損の発生について一切触れていないのも不可解だ。一方、告発を受けた側のPwCJapanグループ広報は、本誌の取材に対して「個々の業務に関するコメントは控えさせていただいております」と回答した。
それにしても中多氏と思しき人物は、なぜ、こんな奇妙な文書を編集部に送りつけてきたのか。BPwに対しては捜査当局が関心を寄せているとの情報もある。そして大﨑氏には、こうした危うさ満載の取り巻きを重用し続ける、何か深い理由でもあるのだろうか。