「7年目の壁」乗り越える ビジネススタイルの大変革
2024年7月号 BUSINESS
1960年東京生まれ。開成高、神戸大経営卒。83年住友海上火災保険入社。三井住友海上火災保険経営企画部長、専務執行役員、持ち株会社のMS&AD執行役員、CIO、CDOを歴任。2021年より三井住友海上火災保険社長。今年6月の株主総会を経てMS&AD社長・CEOに就任。
――「皆さんは過去とのしがらみのない最初の実践者になる。会社の新しい計画を信じて、自信をもって社会人生活をスタートしてほしい」という入社式での社長メッセージはとても印象的でした。
船曳 当社(三井住友海上)は昨年12月に金融庁から行政処分を受け、2月末に業務改善計画を提出しました。中には不安になり入社を迷われた方もいたかもしれませんが、内定者全員(254人)が出席してくれました。今年の入社式は、当社が成長していく上で、大切な一歩になったと思います。今回の改善計画は、金融庁の改善命令に基づくものですが、我が社は決して受け身にはならず、新時代をリードする保険会社になるためには、どのようにビジネススタイルを変革すべきか、社員の皆で考え抜き、自発的に多くの改善プランを盛り込みました。この計画を遂行すれば、必ず損害保険業界で最も価値のある保険会社になれるという確信があります。そのことを社会人1日目の皆さんに伝えたかったのです。
――受け身ではない改善計画の肝は?
MS&ADインシュアランスグループホールディングスの原典之社長兼CEO(現会長、右)から後事を託される船曳真一郎氏(4月25日)
船曳 今一度「お客さま本位」について見つめなおし、「お客さま本位の業務運営」宣言を出しました。保険会社として、高度な専門性と職業倫理を保持し、お客さまに対して誠実・公平に業務を行うのは当然の務めでありますが、それ以上に大切なことは<お客さまが最善と考える商品やサービスを提供することで「お客さまの最善の利益」の追求に取り組んでいくこと>なんです。この業務運営方針を明文化し、全役職員が自分ごととしてとらえ、お客さまのためにできることは何かを常に考え、日々活動して参ります。
――お客さま本位へ原点回帰ですね。
船曳 「損害保険事業は、誰のために、何をすることなのか」「顧客とは誰なのか」――。ともすれば従来のマーケット慣行から規模が大きい代理店やマーケットの提供者に近づきすぎ、本来のお客さま(保険契約者)本位がおろそかになっていました。「政策株式ゼロ」「本業支援・出向基準の見直し」「代理店との関係再構築」の取り組みを、矜持を持って進め、適正な競争環境を作ります。こうした環境整備において、最も大切なことは「健全な企業風土の醸成」であり、潜在的なリスクを特定し、問題を未然に防ぐためには、気付きや疑念の声を上げやすい「言える企業文化」を醸成する必要があります。これを進める上で壁になるのは「上意下達の企業文化」です。必要以上に上司の顔色を窺い、先輩・後輩の上下関係を重んじていたら、いつまで経っても真のチームワークや成長は望めません。
――どうやって壁をぶち壊しますか。
船曳 2025年度から人事制度を刷新します。肝は、従来の「年功的」「会社(人事部)主導」「ゼネラリスト志向」な評価軸から、「スキル重視」「社員主導」「プロフェッショナル志向」な評価軸に移行することです。その結果、当社の社員は原則として4年に1度、希望する勤務地やポストに応募することになります。社員のスキルの習得と可視化が進めば、従来の会社主導の人事異動から、公募を原則とする運営への移行が可能になります。自分のやりたい業務を選び、キャリアを磨ける「近未来の職場」を目指します。
――持ち株会社(MS&ADグループ)の社長・CEOに昇格が決まりました。
船曳 三井住友海上の社長を兼ねるのはビジネススタイルを変革するうえでスピード感と実効性を高めるためです。
――MS&ADは今年3月末時点で約3兆6千億円の政策株を保有し、30年3月末に「残高ゼロ」にする目標ですね。
船曳 今年度6700億円、25年度7500億円の売却を目指し、可能な限り前倒しで削減していきます。政策株の売却で得た資金の約6割(約2.1兆円程度)は米国やアジアをターゲットとしたM&Aや、次世代システムやDXなど生産性向上やイノベーション創出に振り向けます。
――大規模な株主還元を好感して上場来高値を更新。今期以降、政策株が収益を押し上げる構図が一段と強まります。
船曳 浮かれるべきではありません。政策株の売却で表面上は好決算ですが、国内の本業のもうけを示す保険引き受け利益は厳しい。MS(三井住友海上)とAD(あいおいニッセイ同和)の間で2社共通の機能の共通化、共同化、一体化を推し進め、合併と同等のコスト削減を加速してきましたが、事業費率を引き下げ、もっと筋肉質にならなければなりません。
――グループをどう率いていきますか。
三井住友海上火災保険の2024年度入社式で語りかける船曳社長(4月1日)
船曳 MSとADで一体運営する業務を明確化し、生産性の変革とさらなるコスト削減を進める「ワンプラットフォーム戦略」を進化させていきたいと思います。
5カ月前に発生した能登半島地震の余震が続いており、今後30年以内に南海トラフ地震が発生する確率は80%、首都直下地震は70%といわれています。世界中で猛暑・大雨・暴風・干ばつが激甚化し、今世紀ほどリスクの予見、予知が困難な時代はありません。どんな事態に遭遇しても倒れない耐久力を持たねばなりません。政策株の売却が進むほどグループ資本の「ノリシロ」は薄くなり、30年3月末を境にノリシロ・ゼロに直面することになります。この「7年目の壁」をどう乗り越えるか。政策株ゼロ時代のグループ形態はどうあるべきか、この1~2年のうちに結論を出し、グループ全体の耐久力を高めたいと思います。
――3社の経営統合から14年の歳月が経ち、次のステップが問われます。
船曳 政策株の売却加速により25年度グループ修正利益を7600億円に引き上げました。政策株の売却効果があるうちに、7年目の壁を乗り越える迅速果断な手を打つ必要があります。
――話を今年の入社式に戻すと、船曳社長自ら4月に社員全員に25万円の一時金を支給することを約束しました。
船曳 当社は、今年を会社の存在意義(ミッション)と提供すべき価値(バリュー)を全社員で共有した上で、我が社の未来像(ビジョン)を創り上げていく「再スタート」の年と定めました。そして、未来にわたって、世界のリスク・課題解決でリーダーシップを発揮するイノベーション企業になる目標に向かって、ビジネススタイルの大変革に挑みます。今年の新人は、まずは運に恵まれた会社人生をスタートできました。大変革に挑戦する新たな戦力になってくれることを期待して漏れなくお支払いしました。来年はどうなるか? それはわかりません(笑)。
(聞き手 本誌編集長 宮嶋巌)