熊は人の薬、人は熊の餌
2024年7月号
LIFE [シン鳥獣戯画]
by 松田裕之(日本生態学会元会長)
複製・寺本英
『鳥獣戯画(鳥獣人物戯画)』といえば、蛙と兎が遊ぶ画が有名だ。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、複数の作者が、当時の世相を反映して動物や人物を描いた絵巻物だという。
現代でも、鳥獣は世相を反映する。昔よりはるかに自然が遠のいたと思われるかもしれないが、昔とは違う関わりが生まれている。むしろ、改めて、動物目線で世相を見てみたい。鳥獣戯画は一人称が鳥獣というわけではないが、ここでは夏目漱石の『吾輩は猫である』のように、野生動物を一人称にして世相を描いてみる。初回は熊からみた世相である。
「知床のヒグマ」(日刊知床ヒグマ情報トップページより)
日本には、本州以南にツキノワグマ、北海道にヒグマが棲んでいる。古来、人間は我々熊の天敵だった。日本でも、マタギと呼ばれる猟師が我々を毒矢や銃で襲った。九州では野生の熊は絶えてしまったらしい。四国でも、今では数十頭しか仲間がいない。
人間は我々の毛皮を敷物などに、肉や脂は食用に、胆嚢は漢方薬に利用する。現代の日本でも、価格はピンキリだが、全身毛皮で3万円前後、一頭の胆嚢60gで9万円、肉は1㎏単位で消費者価格1万円程度になる。我々熊は、世界的に絶滅危惧種であり、ワシントン条約で国際取引が禁止または規制されている。
我々は警官のピストルではまず即死しない。死ぬまでに逆襲して相手を倒すことができる。麻酔銃なら眠らされる前にひと暴れできる。市街地で人間が使える道具は限られている。市街戦と山岳戦では戦い方が違う。現代の猟師は、一人で我々を狙うことはなく、必ず二人以上で襲ってくる。息があれば相手が一人なら反撃できる。二人いれば一人を襲っている間に狙撃される。
こどもの頃はいざ知らず、成長すれば熊は狼にも食われることはなかった。我々も、かつての狼同様に食物連鎖の頂点に立つ上位捕食者だ。ただし、我々は肉食の狼と違って雑食だ。蜂蜜は大好物で、ドングリを食べる。鮭の遡上する季節には川で鮭を待ち構えて食う。中でも、農作物と残飯のごみは食べやすい。野生の植物は、実が硬かったり毒があったりするが、農作物はたやすくたくさん手に入る。缶ジュースも甘くてうまい。昔、ある仲間がその味を覚えて自動販売機を壊し、中のジュースを奪ったという。そして、中には人肉もいただく熊もいる。大きな獲物は一度に食べきることなく、「土饅頭」にする。土饅頭に近づく人間には容赦しない。我々をさらに捕食する最上位捕食者は、人間である。我々も人間だけは避ける。彼らが熊鈴をつけて山に来れば、我々が先に人目を避けていた。こっそり民家の裏山に入ったり、便利な道路を移動したりするが、人目につかないよううまくやっていた。最近は人が我々を襲うことが減り、人目を避ける必要も減った。
熊鈴と猫の鈴は発想が全く違う。猫の鈴は猫自身につけ、人間や鼠が気づくためにある。熊鈴は人間が人間自身につける。我々が人の気配に気づけば逃げると期待されている。
人間が我々をあえて殺さずに生け捕りにして、電波発信機をつけることがある。同胞たちの行動はつぶさに記録されてしまう。いつも人里近くにいるわけではないが、人里近くを行動圏の一部にする仲間は、昔から大勢いる。
札幌市は住民から我々が出没したという情報を集約してネット上に公開している。2021年6月18日には、東区の丘珠空港および市街地中心部で男女4人にけがを負わせた。田舎の集落だけでなく、二百万都市の市街地の中まで、我々は行動圏を広げている。
昔、個体数が減って絶滅が心配された中国地方では、人里近くで生け捕りにされ、奥山まで運ばれて解放されることがあった。これを「奥山放獣」という。放す際に発信器をつけられて、山で放されてもすぐに元の里に下りてくることがばれてしまった。人間たちは次の手を考えた。放す場所の問題ではなく、唐辛子スプレーをかけるなど虐待して放す「お仕置き放獣」だ。これに懲りて人里を避けることを期待しているようだが、いじめられる程度では、おいしい人里を諦める仲間は少ない。
カメラが捉えたヒグマ「OSO18」
昔は農地や人里に近づくと猟師と猟犬が邪魔をしたが、今、邪魔になるのは農地を囲う電気柵くらいだ。触っても死ぬことはないが、激痛が走る。檻のほかにドラム缶を二つ繋げ、奥に餌を置いて我々を誘う罠もある。すぐ捕まる未熟な熊もいるが、用心深い熊は捕まらない。餌の誘惑に負けなければ罠を避けて農地から生還できる。
人間は、勝手に「人は里地、熊は奥山に棲む」と決めつけているようだが、我々も平地の森に棲みたい。移動は森の中より道路が楽だ。熊も人も同じ哺乳類であり、好きな住環境にそんなに違いはない。
これほど危険な猟師も、法律で熊猟を規制され、なぜか我々の身の安全が人間の法律で守られるようになった。我々は彼らを襲う爪や牙を維持しているが、人間は昔と事情が違う。中国地方の仲間は絶滅の危機を脱し、めっきり人の気配が減った中山間地の農地を利用できるようになった。
我々が人を避けるのは、人が天敵だからで、相手が丸腰とわかれば怖くはない。むしろ、人間自身も我々の獲物になり、農地やごみ置き場には栄養満点の食糧がある。
最近、山で遭遇する人間たちは、弓矢や銃ではなく、熊スプレーを持っている。九メートル程度の距離まで唐辛子の辛み成分を噴射できる。殺されることはないが、近くで噴射されれば、たまらず逃げ出す。その隙に人間に逃げられてしまう。とはいえ、相手が早まって噴射して命中しなければ、「一缶」の終わりだ。我々は難なく人間に襲い掛かることができる。
札幌市に三角山という山がある。仲間が市街地から500メートルほどのところで冬眠していたところ、冬眠穴のありかを通報され、専門家がやってきたことがある。二人で来たが、丸腰だった。仲間は侵入者を爪で撃退した。もう一人が熊スプレーを噴射してきたが、二人目も撃退し、やむなく2頭の子を残したまま穴を後にした。こんなに町の近くで冬眠するとは思っていなかったらしい。その巣穴は人間の監視下に置かれてしまった。
我々の特技は冬眠だ。そして、冬眠中に出産する。夏に交尾するが、受精卵の着床は冬まで伸ばし、正味の妊娠期間は2カ月ほどだ。秋の食糧が足りずに栄養不足の年は出産しない。人間には真似できず、流産すれば母体も危ういだろう。
主食はドングリ類だが、ブナ類の木の実のなり具合は山全体で多い「生(な)り年」とほとんど実をつけない凶作年がある。凶作年には山全体が餌不足になり、危険を冒して人里に出ていく。親が飢え死にすることは稀だが、子供は流産させたり、産んでも生き残れないことがある。こうして、皆が一斉に二頭三頭の子を残す年もあれば、誰もがほとんど子を残せない年もある。
人を襲う熊は昔からいた。アイヌは普通のヒグマのことをキムンカムイ(山の神)、人を襲う熊をウェンカムイ(悪い神)と呼んで区別した。仮面ライダーの変身と違い、姿は変わらないが、変心して習性が変わる。
昔のアイヌは穴狩りと言って冬眠中に襲ってきたり、冬眠明けに巣穴から出たところを狙われたりした。北海道では1969年から役人が我々熊の味方をして、これらを禁じてくれた。
2001年の国会で、当時の石原伸晃規制改革担当大臣は、『北海道の高速道路は車の数より熊の通る数の方が多い』と言ったそうだ。地元の鈴木宗男氏は猛反発した。たしかに、いくら何でも車より多いはずはない。どうやら、石原大臣は熊学者の次のような言葉を聞き違えたようだ。「熊に襲われる人の数より、車に轢かれる人のほうがずっと多い。人と車が共存できるなら、熊とも共存できるはずだ」
木工所のカメラに撮られた親子グマ3頭(富山県)
2018年から4年間で、知床で飼い犬を8匹仕留めた熊がいた。人呼んで「ルシャ太郎」。彼は人を警戒しつつ、用心深く犬小屋を狙った。彼の習性を読まれ、鹿肉を餌に罠が仕掛けられ、捕まってしまった。
19年から4年間、標茶町にOSO18と名付けられた、66頭の畜牛を襲いながらも人を避け、長く生き延びてきた熊がいた。彼は牛以外に野生の鹿の死骸を偏食していたらしい。最期はいつの間にか牛強盗と知らずに捕えられ、肉がレストランに運ばれて人の餌食になってしまった。
餌付けでなく、知床ではカメラに撮られて人なれしてしまう熊がいる。魂を抜かれて人を恐れなくなり、市街地に出て駆除される。熊を人なれさせるカメラマンは、地元の人に熊が出没する危険を与えるだけでなく、我々熊にも大いに迷惑な存在だ。
23年に、知床などの国立公園では、人間がみだりに野生動物に接近するだけでも、罰金刑の対象になった。
2024年、環境省は、ようやく我々熊よりも人間を守る方針に変えるらしい。そう簡単に役人の頭が切り替わるとは思わないが、我々も、昔のように人間に対する警戒心を思い出す必要がある。
人間は、子供に『テディーベア』や『熊のプーさん』を見せ、『森の熊さん』を歌わせている。人間は、我々熊が人も食える動物として、すぐそばに棲んでいることを知らずに育つことだろう。
長らく、我々は猟師を恐れ、人も我々を恐れて共存してきた。その関係を人間が変えた。その間に我々はまた数を増やすことができたし、世界のどこよりも早く、この日本で、我々は市街地にまで立ち入ることができるようになった。それがもたらした新たな関係には、まだ答えがない。
[謝辞] 原稿執筆にあたり、元森林総合技術研究所堀野眞一博士、北海道立総合研究機構釣賀一二三博士、酪農大学佐藤喜和教授らにご意見いただきました。この場を借りて感謝します。