2025年4月号
POLITICS [「令和の風雲」]
by 尾島紘平(「都民ファーストの会」幹事長)
1988年(昭和63年)生まれ、36歳。大阪府立豊中高校、早稲田大学政治経済学部卒業。衆議院議員小池百合子(現 東京都知事)秘書を経て、2015年より練馬区議会議員、17年より東京都議会議員。22年、都民ファーストの会幹事長に就任。
私が政治家を志したきっかけは、2009年の政権交代だ。一年の浪人生活を経て、大学進学のため上京した私が目の当たりにしたのは、世の中の暗さだった。リーマンショックの影響で経済は落ち込み、政治への不信・不満も限界に達し、政権支持率は10%台まで落ち込み、暗澹とした空気が社会全体にあった。
19歳大学生の私が思ったことは、極めて単純だが「世の中を明るくしたい」だった。同年夏の衆院選で、自民党政権から民主党政権へと転換され(その評価は別としても)、政治のダイナミズムも感じた。半分は使命感で、半分はミーハー心で、政治に携わりたいと考えた私が門を叩いたのは、野党・自民党だった。
親族に首長や議員など政治家のいない私には、いわゆるコネはなかった。大学5年生の先輩の紹介で、自民党本部青年局直轄の学生部である「全国学生交流会」に入会した。私のような得体のしれない学生が党大会で代表スピーチをし、大島理森幹事長の下命で小泉進次郎代議士と全国遊説に回り、谷垣禎一総裁に慰労された。上京してきた元新聞記者の父が観光気分で党本部に立ち寄り、石破茂政調会長とサシで対談していた時には肝が冷えた。野党ということで振り切れていたのか、当時はそれくらい自由だった。
党本部職員の皆さまにも温かく厳しくご指導いただきつつ、気づけば学生会長に就任していた。もっと生々しい政治の現場も見てみたいと希望し、紹介されたのが、衆議院議員小池百合子事務所だった。
インターンシップという名目で、まだ綺麗になる前の旧議員会館に通う日々が始まった。着慣れぬスーツを着て、朝の雑巾がけから始まり、電話番、おつかい、書類整理など雑用全般をこなした。本人が事務所に入ったときにコーヒーor紅茶を入れるのも私の仕事で、緊張しながらも一言、二言を交わすのが楽しみだった。
事務所内には「『先生』と呼んだら罰金500円、悪しからず」という張り紙がしてあり、迷った末に『代議士』と呼ぶことにした。ボランティアで無給だったのが、そのうち交通費支給になり、時給になり、日給になった。
政治家になる将来を意識する一方、不安定な世界であることも理解しており、大学卒業後はまず民間企業で働こうと就活の準備もしていたが、事務所の先輩に説得され、2012年、そのまま私設秘書として就職することになった。選挙区だった東京10区の東部、練馬事務所に配属され、戸別訪問やポスター貼り、後援会の運営、区議との連絡調整など地元秘書としての業務のほか、車の修理、畑仕事、焼きそば屋台など、あらゆる経験をさせてもらった。30歳までに議員になれなかった場合には事務所を辞め、それでも公のためになる仕事、警察官か自衛官に応募しようと考えていた。
25歳の春、運転当番で永田町に向かっていた日、後部座席の代議士から「あなたの将来のことなんですが」と声がかかった。翌年に行われる区議会議員選挙に出馬してはどうかとの提案を受け、高速道路上で決断、声を震わせながら回答し、そのまま自民党本部横の伊豆榮に行き、二人きりの決起大会をした。
26歳最年少で区議会議員に当選してからは、まさにジェットコースターのような政治家人生を歩むこととなった。議員バッジをつけた翌年の2016年、代議士が東京都知事選挙に出馬することになった。自民党が擁立する候補に対抗しての出馬だったが、「党」をとるか「親」をとるか、迷わず親をとることにした。
党の方針に反してまで小池百合子候補を応援する豊島・練馬の区議7人は「七人の侍」と呼ばれ、連日ワイドショーに露出した。
吹き荒れるグリーン旋風の中で選挙は圧勝、小池百合子東京都知事が誕生したが、私自身は反党行為を問われ、自民党東京都連から除名処分となった。しばらくは無所属区議として活動していたが、そのうち小池知事を支える勢力が都議会に必要ということになり、地域政党・都民ファーストの会を立ち上げることになった。
翌2017年、止まぬ追い風の勢いで55人が当選、都議会最大会派となった。豊洲・築地問題、オリンピック・パラリンピック開催などヘヴィな課題が山積する中で、20年の初めから新型コロナウイルスの世界的流行が始まった。
パンデミック下で行われた2021年の都議選では、前回のような風はなかったが健闘し、31人に数を減らしたものの第二会派を維持した。長引くコロナ禍で都議会厚生委員長を拝命し、PCR検査体制の整備、宿泊療養施設や酸素ステーションの開設、ワクチン接種のロジ調整にあたった。2022年、都民ファーストの会の党代表が森村隆行都議に交代し、私が33歳で党幹事長に抜擢された。
では、都民ファーストの会は今後どこへ向かうのか、有権者やメディアから最も聞かれることであり、私自身も考え続けていることである。
結党から間もなく10年となるが、藤川晋之助先生によると、10年続いた地域政党は大阪維新の会と減税日本だけだそうだ。ベンチャー政党として数名でスタートした都民ファーストの会も、約100名の地方議員を擁する政党に成長した。
1期目は「東京大改革」を旗印に掲げ、都庁・都議会における古い慣習や既得利権を壊す、スクラップのフェーズだった。2期目は議員提案条例などを通じて仕組み・枠組みを再設定する、またコロナ禍からの復興も含め、ビルドのフェーズだった。3期目はスクラップ・アンド・ビルドを経て、新時代に向けた都政を創造していくクリエイションのフェーズだと考えている。
少子高齢化が進む中で、医療・介護・年金など社会保障制度をどうするか。
金融経済が不安定な中で、慢性化してきた原料・物価高をどうするか。環境問題・気候変動が深刻化する中で、資源・エネルギーをどうするか。都市の近代化を進める中で、老朽化していく社会インフラをどうするか――。成熟国家となった近代日本には課題が山積しているが、そのような中でも成長を続け、経済を力強く牽引していかなければならないのが首都・東京だ。
最近では東京VS地方、東京一極集中VS地方創生といった議論も盛んだが、少なくとも今のタイミングで東京を弱体化させることはすなわち、日本全体の沈没を意味する。
むしろ「強い東京」をつくることが日本の発展への近道であり、これを実行することが、都民利益を最大化するために生まれた地域政党・都民ファーストの会の使命だ。
都民ファーストの会にはこれまでも極めて優秀かつ多様性豊かな人材が集まり、クリエイティブな政策を打ち出してきた。2期8年の経験を経て、個人としても組織としても最も政策実現能力が高まっている、まさに脂が乗りきった状態であり、この流れを途切れさせるのはもったいない。
ついては、今夏の都議選では、これら仲間をいかに失わず3期目に繋げるか、また新たな仲間をいかに増やすかが党幹事長としての責務である。また、政党としての持続可能性を将来にわたって担保できるかは引き続き課題だ。東京の地域政党という立ち位置は小回りが利くが、他の道府県、あるいは国に対して及ぼせる影響は限定的だ。都民ファースト・国民ファーストを追求するためにも、国政進出も狙っていきたい。
繰り返しになるが、私が政治家を志した原点は「世の中を明るくしたい」という思いだ。国政では与党も野党も政局に終始する状況が続いており、私自身も辟易してきているが、老若男女が政治に期待し、明日に希望をもつことが出来れば、世の中は明るくなると確信している。
都民・国民に希望をもたらす政治で、東京・日本を前に進めていきたい。
※「令和の風雲」は、各政党・会派の最若手の精鋭が筆を競い、「とっておきの持論」を述べる連載(不定期)です(編集部)