本誌独占/「運が悪い」前原誠司を男にした無冠の交渉人「遠藤敬」

党を率いるたびに不運に遭遇し続けた前原氏が、今回ばかりは大きな戦果を上げた!

2025年4月号 POLITICS

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破顔一笑の前原誠司共同代表

写真/記者会見動画より

自民、公明両党と日本維新の会は高校授業料無償化などを巡る来年度予算案の修正に合意し、3月4日の衆院本会議で参院に送られ、現在も審議中だ。昨年末から始まった3党協議は遅々として進まず、一時は予算案の衆院通過「合意」は容易ではないと懸念された。下馬評を覆したのは「無冠の交渉人」の存在が大きかった。

水面下で事態が動いたのは1月24日だった。前原誠司共同代表(62)は遠藤敬前国対委員長(56)の携帯電話を鳴らし、「自民党との交渉をお願いしたい」と頼んだ。昨年末に代表に就いた吉村洋文氏(大阪府知事、49)から共同代表に指名された前原氏は自公維の政策協議の前面に立っていた。数少ない政界の知己である石破茂首相(自民党総裁、68)との信頼関係をテコに事を動かそうとしたが、1月に入っても具体的な話は進まず焦りを募らせていた。

遠藤氏は受け入れる条件として、盟友である馬場伸幸前代表(60)に「仁義を切ってほしい」と伝えた。前原氏は約束通り、1月30日に馬場氏の国会事務所を訪ね、遠藤氏に任せることを了承してほしいと頭を下げた。馬場氏は「遠藤ちゃんは真っすぐな性格やから、最後まで支えてほしい」と応じた。

「義理と人情、やせ我慢」

大役を果たした遠藤敬前国対委員長

写真/記者会見動画より

遠藤氏は1968年6月生まれの56歳。大阪府高石市出身で大阪産業大学附属高卒業後、飲食店を経営。馬場氏が政治の師と仰ぐ中山太郎元外相の後援会青年局長などを経て、2012年12月の衆院選で初当選(通算5回当選)。維新が国政進出した当時からのメンバーで、長く国対委員長を務めてきた。各党の国対委員長らから「えんちゃん」「えんちゃん」と呼ばれ、政治家、官僚はもとより、マスコミにも広い人脈を持ち、自ずと様々な情報が集まってくる。一方、愛犬家としても知られ、「秋田犬保存会」の会長も務める。秋田県がロシアのプーチン大統領に贈った秋田犬「ゆめ」の父犬を飼っていたことでも知られる。

永田町、霞が関から一目置かれる存在の遠藤氏は昨年末、先の衆院選敗北の責任を取って退陣した馬場氏と共に身を引いていた。衆院選の敗因を、維新創立者の橋下徹元大阪市長(55)は「飲み食い政治の弊害」と指弾し、愛弟子である吉村氏も昨年12月の代表就任の記者会見で「永田町の『飲み食い政治』『古い政治』のやり方と決別する」と断言していた。

「飲み食い政治」を通じて政官界人脈を築いてきた遠藤氏を、吉村氏ら新執行部は「目の上のタンコブ」扱いし、後を継ぐ国対委員長に、あえて「酒が飲めない」漆間譲司衆院議員(50)を指名した。

だが、政治家は理屈だけでは動かない。交渉が膠着状態に陥る中、前原氏が頼ったのは「義理と人情、やせ我慢」を、政治信条とする遠藤氏だった。間髪を入れず1月27日には前原、遠藤両氏と自民党の森山裕幹事長、文教族重鎮の渡海紀三朗前政調会長との会食が、都内の和食店で開かれた。

もとより吉村、前原両氏の歩調が合っていなければ、与党との交渉はうまくいかない。遠藤氏は万事怠りなく吉村氏に直接電話をし、腹合わせをした。

2月に入ってからは、連日のように表では3党の政調会長が会談する一方、前原氏は自民党の小野寺五典政調会長(64)を、遠藤氏は松本洋平政調副会長(51)をカウンターパートに具体的な落としどころを探った。遠藤氏は関係省庁の幹部を衆院赤坂宿舎の自室に呼び、夜更けまで高校授業料無償化などのスキームを詰めた。

水面下で交渉に遠藤氏が加わったことはトップシークレットとし、吉村、前原両氏しか知らなかった。執行部が「無冠の交渉人」の遠藤氏が加わったことを知ったのは2月10日の役員会の席だった。前原氏が経緯を語り始めると、阿部司総務会長は「えっ!」と腰を抜かすほど驚いたという。

秘中の秘としたのは、裏で遠藤氏が画策していることが漏れたら、同時並行で交渉を進めていた国民民主党や立憲民主党が、自民党との妥結を急ぐ恐れがあったためだ。マスコミが遠藤氏の動きを察知したのも、この頃だった。

最大級でねぎらう前原

高校授業料無償化の方向性がほぼ固まった終盤では、維新の一部議員が社会保険料改革で与党側に追加要求を迫ろうとした。「いまさら何を言い出すのか」と不信感を募らせる与党を、遠藤氏はなだめつつ、党内の様々な不満を抑え込み、最終的な妥結に持ち込んだ。

予算案と税制改正関連法案の衆院採決の際には、党内から「予算案には賛成するが税制改正関連法案には賛成しない」といった反対論が上がったが、そうした動きを抑える役割も遠藤氏が担った。

前原氏は3月6日の記者会見で、昨年末からの交渉を振り返り、「(自公維)合意と党内でのまとまりを保てた大きな理由は遠藤敬さんの存在、培った人脈がすごく役に立った。素晴らしい仕事をされた」と、最上級でねぎらった。

「政党デストロイヤー」「言うだけ番長」などのレッテルを貼られ、クサされることが多い前原氏にとっても、高校授業料無償化などの懸案を自公とまとめ上げた功績は特筆に値する。

1993年衆院選で日本新党から出馬・初当選以降(現在、当選11回)、非自民・非共産による政権樹立を一貫して目指してきた。2005年9月には民主党代表に就任し、朝日新聞から40代で英国首相に就任したトニー・ブレア氏になぞらえて「目指せ、日本のブレア」と持ち上げられたが、期待に応えることはできなかった。

翌年2月の衆院予算委員会で、いわゆる「偽メール事件」が起こり、前原氏はメールの信憑性について「確証がある」と断言したが、直後に虚偽が判明し、わずか半年で代表を辞任した。

2017年9月には民主党を源流とする民進党代表に就任した直後、小池百合子東京都知事が立ち上げた「希望の党」への合流を主導し、民進党の分裂を招き、自民党に対抗する野党がいない「1強多弱」の政治状況をもたらした張本人でもある。

政界では「悪い人」は嫌われないが「運の悪い人」は嫌われる。政党を率いるたびに不運に遭遇し続けた前原氏だが、今回ばかりは「無冠の交渉人」を存分に働かせ、大きな戦果を上げた。これが汚名返上のきっかけになるか、まだわからないが、矩を踰えず真っすぐ歩き出したといえよう。

   

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