連載コラム:「某月風紋」

2026年1月号 連載 [コラム:「某月風紋」]

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大阪・北新地の一角に立地し、懇親パーティーや企業の決算発表の会場として重宝された「クラブ関西」が11月、近くのビル地下に移転した。関西財界人が交友を深め、情報を交換する場として1948年に発足し、移転・建て替えを経て1984年にオープンした豪華な会館は老朽化で解体が決まった。隣接する「ANAクラウンプラザホテル大阪」も10月15日に閉館しており、両施設の土地を保有するダイビルは一体で再開発し、新たにビルを建設する。クラブ関西は現状を「仮移転」と位置づけ、将来は元の敷地への復帰を望んでいる。

クラブの建屋は設計・日建設計、施工・大林組で、50坪ほどの立派な庭園があった。確たる文書は残っていないが、昭和を代表する造園家の荒木芳邦氏が関わったという話も伝わる。荒木氏は大阪万博松下館庭園、花と緑の博覧会政府苑など多くの作品を残した大家だ。農学者の神門善久氏がクラブ関西で講演した際、その庭について手入れの重要性を説いた。これがきっかけで造園家の杉田悦朗氏は2011年からクラブ関西の庭の面倒を見るようになった。

荒木氏を敬愛する杉田氏は原型に配慮しつつ石塔の周囲に回廊を設け、剪定で庭木にわざとすかしを入れて芝生に必要な夏場の日照量を確保した。植え足す木を求めて日本中を探し回り、三重県鈴鹿市の造園家からはアジサイ原種の親木を譲り受けた。庭の樹木や花は100種類を超えた。

杉田氏は14年間、心血を注いだ庭の姿をカメラに収め、写真集「YESTERDAY」(マルモ出版)として今年7月に上梓した。あとがきの「工事完成が終わりではなく庭の思想も植物との対話によって養われていく」という一節に自らの思いを託した。「唯一の心残りはアジサイの原種を引き取りそこねたこと」だという。幾多の財界人を魅了してきた庭園は静かにその幕を閉じた。

(松果堂)

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