「反省点はない」女王様の執事/木原稔官房長官の「最大の武器」

政府与党内は「木原がいない高市政権は想像できない」ともっぱら。

2026年9月号 POLITICS

高市首相(右)の弱点を忠実にフォローする木原官房長官(官邸HPより)

「反省点はない」。7月の特別国会の閉会を受け、官邸で記者会見に臨んだ高市早苗首相(65)。国会運営の反省点を問われると、あっけらかんとそう言い切った。だが、永田町で、この言葉を額面通りに受け取る向きは少ない。

衆院解散に伴って、国会日程が窮屈になる中、2026年度予算の年度内成立を試み、失敗。高市氏の公設秘書による誹謗中傷動画疑惑で法案審議が空転し、2度目の会期延長に追い込まれた。野党が要求した予算委員会の集中審議への首相出席を巡っても、官邸は煮え切らず、しびれを切らした自民党の梶山弘志国対委員長が「与党の責任で会期中に実施する」と表明し、最後は党が尻拭いをする羽目になった。

一連の国会の混乱には、高市氏の政治家としての弱点が凝縮されている。政策論には強く、自分の考えもはっきりしている。だが、政治の日程感や国会運営となると話は別だ。18年には衆院議院運営委員長を務めた経験があるが、首相となった今、その経験は生かされているとは言い難い。

政策的に正しいことと、政治を円滑に動かすことは違う。野党との駆け引き、衆参両院の日程、与党内の事情を汲み取りながら、時には譲り、時には先送りする。そうした「間合い」の感覚が首相には乏しいとの不満が党内にくすぶる。ある自民ベテラン議員は、そんな官邸の有り様を眺めて吐き捨てる。

「2月の衆院選大勝にまだ酔っているのか。さながら乱心した女王様だ」

「唯一物申せる」存在

もっとも、こうした高市氏の弱みは、まだ政権運営の致命傷にはなっていない。その要因として、よく挙がるのが「高市氏に唯一物申せる」(現職閣僚)と評される女房役の木原稔官房長官(57)の存在だ。高市氏が発信する「X」の火消しから、開かれない記者会見の尻拭いまで気苦労が絶えないが、文句を言わずに忠実にこなしている。

高市氏の寵愛を受ける木原氏とは何者か。熊本県熊本市出身で、地元の名門高校「濟々黌(せいせいこう)」では、ハンドボール部の主将を務めた。1993年に早稲田大学を卒業し、日本航空(JAL)に入社。操縦士訓練を受け、パイロット資格を持つ。事務職だったため、旅客経験はないという。11年間勤めたJALを辞め、自民党神奈川県連主催の「かながわ政治大学校」の門をたたいた。

当時を知る県連関係者によると、一時は神奈川での出馬を検討したが、衆院熊本1区の候補者公募に選ばれ、郷里から挑戦。2005年に議員バッジを手にした。

派手さはない。弁舌で人を圧倒するタイプでもなければ、党内で大勢を引き連れて歩く政治家でもない。むしろ、与えられた仕事を黙々とこなし、仕える相手の懐に少しずつ入り込んでいく。余計なことを話さない生真面目さこそが、木原氏の最大の武器といえる。

高市氏との縁を取り持ったのは、安倍晋三元首相だった。21年の総裁選で、木原氏のもとに安倍氏から突然電話がかかってきた。「高市さんを応援してあげてよ」。その一言で「それまでちゃんと話したことがなかった」(木原氏)という高市氏の陣営に入り、選対事務局長に就任した。総裁選が高市氏の敗北に終わり、木原氏が頭を下げると、高市氏はこう返したという。「次も出るわよ。一緒に官邸に行こう」

その後、高市氏が政調会長に就任すると、政調事務局長を任され、二人三脚で総裁を目指し、歩を進めてきた。高市氏は首相就任前から「官房長官だけは人事を決めている。木原さんしかいない」と周囲に漏らしていた。

昨年10月に結ばれた自民と日本維新の会の連立合意書の実質的な取りまとめ役は木原氏だった。内閣・党役員人事の構想や解散戦略を高市氏が相談した数少ない相手でもある。官邸や党内では「木原氏なき高市政権は想像できない」との見方がもっぱらで、近く見込まれる内閣改造でも留任が確実視される。安倍氏はかつて木原氏を「保守のエース」と期待し、首相補佐官として重用した。旧茂木派の出身でもあり、将来は一部の同派系議員を中心に保守派を束ねていく可能性がある。

歴代官房長官の中には、首相になった例も少なくない。未来の首相候補として期待する声に、木原氏自身は「可能性は1ミリもない」と否定しているが、関節リウマチなど高市氏の体調面が不安視される中、政権の雲行き次第では、安倍氏の跡を継いだ菅義偉元首相のように、ピンチヒッターでの登板もありうる。

高市政権には、木原氏のほかにも尾崎正直(58)、佐藤啓(47)両官房副長官という「執事」も控えている。木原氏が首相の意思決定を内側から支える筆頭格なら、尾崎氏には官邸と衆院、佐藤氏には官邸と参院をつなぐ役割が期待されている。

尾崎、佐藤の2人の執事は…

だが、後者2人はいずれも、その橋渡し役を十分に果たせていないという声が党内に多い。ある自民の中堅議員は「副長官に首相への頼みごとをしても『とても言える雰囲気じゃない』『木原さんに言ってよ』と断られた」と明かす。木原氏とは違い、まだ高市氏の懐に入りこめていないようだ。

尾崎氏は旧大蔵省(現財務省)出身。高知県知事を12年間務め、年齢こそ木原氏より2歳上だが、衆院当選は3回。永田町ではなお若手の部類に入る。

官房副長官には与党や官僚組織ににらみを利かせ、時に力ずくで調整をまとめる政治力も不可欠だ。前述した集中審議への首相出席を巡っては、尾崎氏は梶山氏と面会した際に「官邸はどうやって(野党と)交渉しろというんだ」と激怒されたとされる。官邸と国会をつなぐはずの副長官が、逆に国対から詰め寄られ、高市官邸の調整力不足を象徴する一幕だった。

一方、佐藤氏は東大出身の総務省のキャリア官僚上がりだ。16年の参院選で奈良選挙区から出馬し、初当選を果たした。高市氏と同じ奈良を地盤とし、総裁選でも発言メモや想定問答づくりを通じて、側近として仕えてきた。その際、陣営内の議員が保守色の強い演説案を高市氏に手渡そうとすると、選挙戦略にそぐわないとみて、間に入って阻んだこともある。高市氏の発言を整え、発信上のリスクを抑える「内向き」の補佐にはたける。

ただ、旧安倍派出身で、派閥の政治資金問題を巡って財務政務官を辞任した過去を抱える。官房副長官就任後も野党側の反発が強く、一時は担当する参院議院運営委員会の理事会などへの出席を拒まれ、「出禁」となった。首相との距離は近い一方、与野党をつなぐ調整役としては、その近さを政治力へ転化できていない。

女王を支える執事の力量は、政権の寿命を左右する。高市氏が敬愛する安倍氏も、第1次政権では側近を集めて「お友達内閣」と揶揄され、党や役所との調整に苦しんだ。返り咲いた後、菅義偉官房長官を軸に強固な官邸を築いたのは、その失敗の裏返しだった。高市氏とその側近にとっても他人事ではない。主人が暴走しそうな時に袖をつかみ、「女王様、そこは行き止まりです」と言えるか。3人の執事で今のところそれを言えるのは木原氏だけだ。

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