「最後のハイエナ」Jブリッジの往生際

医療ビジネスからついに撤退、投資家は火だるまだが、勧誘した前社長はシンガポールの豪邸で左ウチワ。

2010年7月号 DEEP

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ジェイ・ブリッジの桝澤徹前社長

Jiji Press

かつて跋扈した「資本のハイエナ」が、今や捜査当局の手にかかって死屍累々である。西田晴夫、倉橋正治、松沢泰生、笹尾明孝、佐藤克、福村康廣、河野博晶、阪中彰夫、黒木正博、中村(旧姓中澤)秀夫、鬼頭和孝……。本誌がボロ株を操って荒稼ぎする彼らを「資本のハイエナ」と命名し、食われた企業をチャート化したのは2006年10月号(「『資本のハイエナ』相関図」)だったが、それから3年9カ月、主役のほとんどは逮捕され、証券市場を去った。

その「最後の巣窟」もすべて身売りしてフェードアウトしようとしている。東証2部上場の「ジェイ・ブリッジ」だ。6月25日の株主総会で、医療ビジネスからの撤退と、社名を「アジア・アライアンス・ホールディングス」と改めて香港最大ノンバンクのサンフンカイと連携、アジアを軸に事業展開することを決める。

神奈川歯科大など“被害者”

“逃亡”とも映るが、投資家は簡単には許さない。06年10月、ファンドを立ち上げて医療ビジネスに進出したのは、桝澤徹前社長の“発案”だった。桝澤は人脈を生かして勧誘、約42億円を集め、福岡県の医療法人「杏林会」の出資持ち分(企業で言えば株式)を取得した。

医療ビジネスからの撤退とは、ファンドが他の医療法人に約22億円で売却し、損失を出資に応じて被ることを意味する。26億6500万円を投じていたジェイ・ブリッジは約10億円の特別損失を出すが、納得しないのは他の投資家である。

例えば7億4500万円を投じた神奈川歯科大学。同大学は昨年、理事らの詐欺行為で約90億円もの巨額投資損失が発覚し、横浜地検に摘発された。その投資資金の半分近くがジェイ・ブリッジ関連で、7億4500万円は一部にすぎない。桝澤氏は大学関係者にこう説明したという。

業績不振の医療法人は山のようにありますが、そこに資金を集中投資して再建するんです。でも、医療法人には利益を配当として出してはならない制約がありますから、医療法人を不動産ごと買収し、賃貸収入を配当に回すのです。特別目的会社(SPC)を組成し、銀行からノンリコースローンを調達すれば、10%以上の高利回りを期待できますよ……。

実態は異なる。最初に集めた約42億円は、すべて出資持ち分の買収に充当され、不動産は取得していない。だから賃料収入もなく配当もない。しかも追加投資のための第2ファンドは約9千万円しか集めることができず、福岡県の明太子製造会社とそのオーナーは「虚偽勧誘」であったとして今年3月、東京地裁に損害賠償請求訴訟を起こしている。

ある投資家は言う。

「虚偽説明で投資を募っているのだから詐欺です。事実、1円も配当を受け取っていない。しかもジェイ・ブリッジは、ファンドの営業者ではなく一投資家にすぎないと言い張って、勧誘責任を認めない。桝澤は社長退任(07年9月)後、シンガポールに居を移して連絡が取れず、ファンド営業者も不在。桝澤のやり方はひどい。刑事告訴も考えています」

ジェイ・ブリッジはファンドを組成するにあたり、民間企業が医療法人を直接支配できないことから、ジェイ・ブリッジが組合をつくるのは適当でないとして、親密企業のジェイ・キャピタルマネジメント(JCM)の子会社、港ブリッジキャピタル・ワンをファンド営業者に、SRIメディカル1号ファンドを組成。このファンドが任意組合のSRIメディカル投資事業組合に出資、同組合が医療法人「杏林会」を支配した。

従って、桝澤の発案で、ジェイ・ブリッジの再起をかけたプロジェクトではあったが、形式的にはジェイ・ブリッジは、JCMの子会社が運営するファンドに26億6500万円を投じた一投資家となったのだ。

その“使い分け”が許せないとして、桝澤はもちろんのこと、JCMやジェイ・ブリッジを含めて責任を追及する動きが出ている。ジェイ・ブリッジのたどった軌跡を考えれば、確かに一投資家では済まされない。

ジェイ・ブリッジは、「ファンド資本主義」という市場主義の究極がもてはやされた時代を代表する企業のひとつだった。証券市場の片隅に沈んでいた日本橋倉庫という名の倉庫会社を、外資で経験を積んだ桝澤徹とその関係者が03年10月、ファンド資金で買収して企業再生ファンドに仕立て直した。

以降、次々に企業を買収、「今度は何をやるのか」という期待値で株価が上がり、時価総額の増大でさらなるM&A(企業合併・買収)が可能になるというファンドマジックで、最盛期の04年から05年にかけて、1年間で12社を買収、うち5社が上場企業という華々しさだった。

しかし、06年1月のライブドア・ショックでマジックは消え失せ、株価は暴落、ビジネスモデルは失われた。しかも篠崎屋(豆腐製造)、多摩川電子(コンピュータ関連)、トランスデジタル(システム開発)、小杉産業(アパレル)、機動建設工業(ゼネコン)と業種が多岐にわたる買収先の上場企業を経営する人材はおらず、すべて売却した。

錬金術は失敗の連続

ハイエナは、調達した資本を食い尽くし、買収企業の利用価値が薄れると次の企業に移る。「焼き畑」式が基本だが、桝澤はジェイ・ブリッジにこだわった。最後まで同社を舞台にファンドマジックを仕掛けようとした。それが、06年10月の医療ファンド立ち上げだった。

だが、それは桝澤の誠実さを意味するものではない。ノンリコースローンの供与を約束していた銀行が撤退するなど状況は変化、それを投資家に説明することなく「高配当」を謳ったのでは問題だろう。

ジェイ・ブリッジの経営を受け継いだのは、サンフンカイに在籍していたこともある高森幸太郎社長。高森はジェイ・ブリッジの立場を説明するとともに桝澤をかばう。

「当社および桝澤とJCMが親しかったのは事実だが、当社が(ファンド運営を)指示する立場ではなかった。桝澤からも、両社にはきちんと役割分担があったと聞いている。すでに(ジェイ・ブリッジの)かつてのビジネスモデルは通用しない。メディカル事業からの撤退を役員会で決めた。今後はサンフンカイの協力を得つつ、再生するつもりだ」

企業再生ファンドとして出発、医療ファンドに行き着いた桝澤が、これまで手がけた投資は、失敗の連続である。小杉産業は倒産、トランスデジタルは企業舎弟など反社会的勢力に食い荒らされて事件化した。

最後の案件でも桝澤は懲りずに投資家を食い散らかしたが、現在はシンガポールに居を移し、10億円ともいわれるプール付きの豪邸に住んでいる。多摩川ホールディングスなど影響力のある「ジェイ・ブリッジ銘柄」には増資の引受先として登場、カネはまだふんだんにあるとの印象だ。捜査当局はスキがあれば飛びかかろうと狙っており、「ほとぼり」はまだ冷めない。(敬称略)

   

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