2012年11月号
連載
by 宮
美しい村など初めからあったわけではない。美しく暮らそうという村民がいて美しい村になった――。民俗学者、柳田国男の言葉は心に響く。
中通りから車を走らせ1時間半。阿武隈高地の中腹にある美しき村「かわうち」を訪ねる。西方の平伏(へぶす)山頂(海抜842m)にある平伏沼は、水面に張り出した枝に卵塊を生みつける森青蛙のすみか。隣村(現いわき市)出身の「蛙の詩人」草野心平はこの地を愛し、「うまわるや 森の蛙は 阿武隈の 平伏の沼べ 水楢(みずなら)のかげ」と詠んだ、その歌碑が立つ。
そして今、村役場の壁面を覆う緑の大垂れ幕には「かえるかわうち」のスローガンと森青蛙のシルエットが描かれている。
遠藤雄幸(ゆうこう)村長(57)が全村避難(約3千人)を決めたのは小雪が舞い散る3月16日だった。3カ月後には、村の空間線量は30キロ圏内の他の町村より低く、村民の多くが避難する郡山市と差がないことがわかった。「必ず戻って復興させる」と誓いながら全村避難した村長は直ちに復興計画の作成を命じ、役場ごと避難した他の9町村の先陣を切って、1月31日に「帰村宣言」を行い、4月から役場や保育園、小中学校、診療所を再開し、商店や生活バス路線などライフラインを確保すると約束した。村長は「戻れる人は戻る。心配な人はもう少し様子を見てから戻る」という方針を打ち出し、帰村するかどうかは村民の自主判断に委ねることにした。結果、これまでに村民約800人が帰村したが、小学生はわずか16人しか戻ってこない。
野田首相が除染加速の指示を出し、10月9日から村の20キロ圏内(旧警戒区域)でも国の直轄除染が始まった。13日には天皇皇后両陛下が村を訪れ、除染作業を見守った。「凛として美しい村を自分たちの手で取り戻していく覚悟」と語る遠藤村長はあっぱれである。