効率的な英国医療制度  「患者中心」で満足度9割

澤 憲明 氏
英国家庭医療専門医

2014年1月号 LIFE [インタビュー]
インタビュアー 本誌 上野真理子

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澤 憲明

澤 憲明(さわ のりあき)

英国家庭医療専門医

1980年富山県生まれ。18歳で渡英。レスター大医学部(前レスター大/ウォーリック大医学部)卒。日本人で初めて家庭医療専門医教育及び認定試験を終了後、2012年より専門医として診療に当たり、現在リーズ近郊の診療所に勤務。論文に「これからの日本の医療制度と家庭医療」など。

――英国は、病気は基本的にまず地域の家庭医(General Practitioner)が診て、必要があれば各科専門医、病院を紹介するシステムですね。近年、日本でも同様の役割を果たす「総合診療医」を養成する動きがあります。

澤 もともとは医師なら誰でも地域で開業できたのですが、英国では1981年、3年間の研修プログラムを受けた人のみが家庭医になれると決まり、今はさらに専門試験に通る必要があります。家庭医は国際的には家庭医療科と呼ばれ、いわゆるプライマリ・ケアを担当する専門医です。よく初期医療と訳されますが、プライマリは「主要な」「もっとも大切な」という意味。ケアは医療だけでなく、予防や介護、生活支援なども含んでいます。プライマリ・ケアは英国の健康問題の90%に対応しており、かかるお金は総医療費の9%。住民は気に入った診療所に登録し、家庭医の他にも看護師、理学療法士、助産師などがチームとして対応します。家庭医は医学的な問題だけでなく、たとえば「子どもがジャンクフードばかり食べる」「介護で困っている」といった相談にものります。外来の合間には、毎日在宅診療に出かけます。

過剰な医療から患者を守る

――英国の医療について「待たされる」など不満の声も耳にします。

澤 患者の約9割が家庭医の診療に満足しており、英国の医療の満足度は先進各国の中でもっとも高いというデータがあります。ただ医療に何を期待するか、日本とは違いがあると思います。資源に制限がある中、「必要なときに適切な場所で、最小のコストで」をモットーにしている英国では、まず急性枠か慢性枠かでアクセスが分かれます。急性枠なら当日に診ますが、慢性枠だと何日か待つことになります。診断は問診と身体診察をベースにしています。

投薬や検査はエビデンスを重視し、たとえば風邪の症状で抗生物質などを安易に処方することはありません。検査には、CTによる被曝などデメリットもあります。必要があればもちろん適切な検査を行いますが、過剰な医療から患者を守るのも家庭医の重要な役割の一つです。

――なぜ家庭医になったのですか。

澤 英国に行き、進路を決めるときに、人間が好きだから医師になろうと思いました。最初は心臓の専門医に興味があり、初期研修で病院の内科で働きました。病院ではいろいろな患者が治療を受け帰っていくのですが、再び同じ病気で戻ってくる人が多い。聞いてみるとアルコールを飲み続けていたり、家族とうまくいかずストレスがあったり問題を抱えていて、病院ではそうしたことへの対応が容易ではないのです。地域で寄り添い、健康の社会的、精神的な決定要因を紐解いていく存在がないと、患者の健康と幸福には貢献できない、とそのとき痛感しました。そして有給休暇をとり診療所に見学に行った時に「これだ」と思い、家庭医になることに決めたのです。今はやりがいを感じ、天職と思っています。

――英国で診察にかける時間は。

澤 1人あたり10分です。最初の5分は診断。あとの5分は、診断結果を伝え、患者に選択肢を提示して今後の治療を話し合い、「こういう症状になったときは肺炎の可能性があるから来て欲しい」といったように、セルフケアの教育を行います。僕たちはこの5分を「エンパワーメント」と呼んでいます。患者に自分の健康問題とつきあっていくパワーを与えるということです。

レッドフラッグ(ガンなど大きな病気が潜んでいる兆候)を見つけることもとても重要な役割で、たとえば咳が3週間以上続いている人は必ずX線で調べるなど国のガイドラインが決まっており、医師によって判断が大きくずれないようにもなっています。

薬の処方を独立機関が監視

――英国の制度は医療のコスト削減や地域の健康に有効でしょうか。

澤 僕のいる診療所には8500人の住民が登録しています。最近ではほぼすべての診療所に電子カルテが導入され、住民のうち何人が高血圧、といった統計データがすぐにわかり、地域の医療ニーズを把握して健康増進や予防に役立てることができます。患者の了解を得て別の診療所を受診したときのカルテの情報も把握でき、ケアの連続性が確保され、薬や検査の重複も回避できます。医師の報酬は定額制ですが業績払いの部分があり、高血圧の人を何人減らすことができた、など業績に応じて報酬が上がる仕組みです。また薬の処方は外部の独立機関が監視しており、「この処方はエビデンスに基づいていませんよ」と指摘されることもあります。効率的、合理的な仕組みになっているのは英国の強みですね。

患者とお互いに手を取り合い、他の専門家たちと協力しながら、患者と医療制度双方にとってやさしく調和のとれた音楽を奏でる。家庭医はいわば指揮者のような役割で、その中でコミュニケーション能力はもっとも大切です。

――日英の医療は共通点もあります。

澤 英国は日本と同様に医療は公的な色合いが強く、医療費の割合や医師不足も同じです。ただ、適切に優先順位を決めるシステムで、EUの労働時間規制もあるので、疲れきった医師が外来をやることはありません。

日本と大きく違うのは、医療は公共財で、「商品」ではないことです。国民がお金を出し合っているのに、日本では必ずしも公共財の扱いではないですね。たとえば検査や投薬をすればするだけ収入増になるという話を聞きますが、そうだとすれば自ずと医療が患者でなく収益性中心のシステムになり、医師個人のモラルに頼る傾向が強くなります。英国の現場で僕が感じるのは、患者を大切にしているということ。医療政策の原点は、「患者中心」であるべきだと僕は思います。

   

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