アッキーが発起人の「巨大防潮堤」討論会に安倍総理が動画メッセージ。とんでもない無駄を生んでいるのではないか。
2014年7月号
BUSINESS [特別寄稿]
by 原田 泰(早稲田大学教授・東京財団上席研究員)
人手不足で日本経済の成長が制約されるという説がある。しかし、それは深夜の飲食業、建設業など経済の一部だけで起きている。職業別の有効求人倍率を見ると、建設では2.60倍、接客・給仕で2.54倍になっているが、事務では0.29倍、生産工程でも0・94倍にすぎない(厚生労働省「一般職業紹介状況」2014年4月)。経済全体で人手不足になっている訳ではない。
通常は、ある産業で人手不足になれば、その産業の賃金が上がる。賃金が上がることによって、多少きついが働いてもいいかという人が増えて、その分野の労働供給が増える。一方、そんな高い賃金では仕事を減らすしかないとなって需要が減る。結果として、需給が一致する。分野ごとの需給は賃金の変動によって調整される。
ところが、市場に依らずに需要と価格が決まっている分野では、奇妙なことが起こる。不況だから財政の刺激をしなければならないとなって、公共投資を膨らましていた。ところが、景気が良くなって人手不足になっているにもかかわらず、膨らんだ公共投資はそのままである。とはいえ、個々の公共事業プロジェクトの建設費は、不況の時のコストを前提に抑えられている。そこで入札をしても、あらかじめ決められた予定入札価格以下で入札する企業がない。だから、入札価格を引き上げよという話になっているのだが、奇妙な話である。
公共事業プロジェクトは、怪しいものだが、一応はコスト・ベネフィット分析をしてコストよりベネフィットが上回るから実施する建前になっている。しかし、人手不足でコストが上がるなら、ベネフィットが上回るという過去の計算が成立しないのだから、公共事業を減らすべきである。景気が良くなればベネフィットも大きくなるはずだという反論があるかもしれない。公共事業のベネフィットとは、新しい道路やトンネルができて節約できる時間価値、ホールや博物館からのチケット収入などである。時間価値とは平均的な賃金のことであり、平均賃金が上がればチケット収入も増えるだろう。しかし、賃金が大きく上がっているのは建設賃金で、平均賃金の上昇はわずかである。ベネフィットが大きく増えるとは考えられない。
保育所でも人手不足が起きている。保育士が足りないと人の取り合いになっている。あるいは、保育士が取れなくて、保育所が開けなくなっている。これは困ったことである。
困った人手不足が起きるのは、政府が特定の分野に無理やりお金をつぎ込むからだ。政府がお金を流すのは2つの目的がある。第1は景気を良くすることで、第2は特定の分野を拡大することが公共目的で必要だからだ。
まず第1の目的の景気を良くするためには、特定の分野を拡大するのではなくて、できるだけ広い範囲にお金を流す方が良い。なぜなら、特定の分野にお金を流すのは不公平で、かつ、建設業で起きているように、特定の分野の奇妙な人手不足を招くからだ。広い範囲に流すのなら、減税が一番良いが、財政赤字がこれほど巨大になるとそれもしにくい。であれば、金融緩和が一番良い。金融緩和をして円安になっても輸出が増えないから駄目だという人がいるが、特定の分野だけで需要が増えない方が良い。円安になって企業の利益が上がり、株が上がって資産効果で消費が増えた。利益が上がったから徐々に投資が増えてきた。生産と雇用が増えたので、給料も増えてきた。経済のあらゆる分野が少しずつ良くなっている。これは特定の分野に人手不足を起こさない。
第2の、特定の目的のためにお金を流すという政策でも、もっと広く薄くお金を流して、人手不足を起こさない方法はある。東日本大震災の被災地を災害から守るために巨大防潮堤を作る計画が進んでいる。それで津波から守られるのかもしれないが、高さ15メートルもある防潮堤を作れば、海が見えなくなる。海の見えないところで漁師はできないと反対している人もいる。観光客は、うまい魚を食べ、きれいな海を見るために来るわけだから、海が見えなければ客が減ると反対している人もいる。もちろん、防潮堤ができれば安心だし、工事のために巨額のお金が落ちるから賛成だという人もいる。しかし、目的は津波から命を守ることで、防潮堤は手段である。しかも、その手段に大変なコストがかかる。
例えば、岩手県大槌町の場合、全長約5キロメートルの巨大防潮堤を作ることになっているが、そのコストは1千億円以上であるという。一方、大槌町の人口は1万2631人である(同町HP、2014年5月31日現在)。町民一人当たり800万円かかることになる。しかも、防潮堤の耐用年数は60年ということである。次の巨大津波が来る時にはぼろぼろになっている。一人800万円かけて自分の費用で防潮堤を作りたいという人がいるとは思えない。国が全額出してくれるから、建設に賛成する人がいるだけだ。国が、800万円の代わりに、100万円をくれると言えば、ほとんどの人がそうしてくれと言うだろう。一人100万円、一家4人で400万円なら住宅建設の十分な頭金になる。水産加工場再建の呼び水くらいにはなる。防潮堤を作るより、よっぽど復興が進むだろう。個人にお金を配ることを、大衆の欲情に迎合するポピュリズムだ、人気取りだという知識人が多いのだが、一人800万円かけることが正しい政策だと考えるエリートの知的レベルの方がよっぽどおかしい。
幸いなことに自民党内部でも疑問の声が生まれ、安倍昭恵総理夫人も巨大防潮堤に度々疑問を述べている。自ら発起人となって「『巨大防潮堤』について話し合う討論会」の第3回の集会を、5月24日仙台市で開催した。ここには、安倍晋三総理も動画でメッセージを寄せ、「巨大防潮堤は街づくりとの整合性を図ることが必要だ」とのメッセージを送った。総理は公共事業で金を配ればよいという田中角栄系の派閥に賛同していなかった福田赳夫系の派閥の出身である。様々な懸案を抱える総理が、巨大防潮堤を本気で再検討させようとしているとは思えないが、そのような政治手法への不快感は明確に示したということであろう。
津波から命を守る方法はいくらでもある。津波が来ない、100年に一度の津波が来ても床下浸水ですむ程度の高い土地に住む。もちろん、もっと高いところに住んでも良い。江戸時代なら、高い土地から海まで歩いて通わなければならないから、津波の来ないところに住むのは大変だった(それでもそうしていた村もあった)。今は車がある。防潮堤を作るより、一家に一台軽自動車を配った方が安上がりだ。海の近くで仕事をしている人は、基本的には津波から逃げるだけの体力のある人たちだ。津波が来るまで時間がある。津波観測技術も発達するだろう。逃げ道を用意しておく方がずっと安上がりだ。国は、防潮堤ならすべてのコストを負担するが、軽自動車を買ってはくれない。巨大防潮堤の建設にかかる費用よりも安く、住民とそこに来た観光客の安全を守る手段を市町村が提案したら、そのための費用を国が負担するとすればどうなるだろうか。結果は、様々な手段が組み合わさったものになり、建設工事だけが突出することにはならないだろう。
保育所もそうだ。公立の保育所で子ども一人預かるのに、月額で、ゼロ歳児41.0万円、1歳児20・4万円、2歳児18.3万円、3歳児10.9万円、4、5歳児9.9万円かかっているが、保護者が実際に払っているのは0円から7万円程度である(東京都板橋区「保育園児1人にかかる費用と保護者の平均保育料(月額)」平成24年度決算数値、による。多くの自治体がホームページでコストを公表している。板橋区はより手厚い保育を行っていることでやや高いが、どの自治体でも大きくは変わらない)。
保育所の不足は、実際にかかるコストに比べて料金が安いからという面もある。であるなら、保育料金を上げて、保育需要を削減するという方法もある。内閣府男女共同参画局の清水谷諭主任研究官と早稲田大学の野口晴子教授の分析によれば、利用者が負担する保育料を1.2万円だけ引き上げれば、需要が減少して待機児童はゼロになるという(『介護・保育サービス市場の経済分析』第5章、東洋経済新報社、2004年)。ただ上げるだけでは反対が多いから、民主党政権時代、児童手当の支給額を引き上げた時と同時に同額だけ保育料金を引き上げれば良かったが、もう遅い。地方が、独自に児童手当を増額すると同時に、保育料を引き上げるのを認めるべきだ。
要するに、多くの公的支出について、手段の自由化を認めることが必要である。国が手段を特定化して、その手段ならいくらでも補助金をつぎ込んでくれるが、それ以外の手段で同じ目的を達成しようとすれば補助金をくれない。これがとんでもない無駄を生んでいる。地方公共団体が同じ目的をより安価な手段で達成する方法を提案すれば、国はそれを認めるべきだ。これは無駄を削減するとともに、奇妙な人手不足を解消して、成長余力を高める。