「最強の太鼓持ち」と評される東大名誉教授らが、村木厚子さんら良識派を完封。
2014年8月号 POLITICS
捜査機関に被疑者取り調べの録音・録画(可視化)を義務づける制度の新設が決まった。大阪地検特捜部検事による証拠改竄と部長らによるその隠蔽、さらに供述偏重の捜査への反省から、法制審議会の特別部会で3年間にわたって検討された結果だが、対象は全事件の3%だけで、逆に通信傍受拡大など捜査機関が「見事に焼け太った」と司法記者。「良識派の前に御用学者が立ちはだかり、当局の思惑通りになった」と解説する。
証拠改竄・隠蔽事件は、虚偽公文書作成・同行使の罪に問われた厚生労働省元局長の村木厚子さん(現事務次官)が2010年9月に無罪となった郵便不正事件で発覚した。
この事件では、特捜部が描く筋書きに沿った供述を関係者に強要し、それに従って村木さんを冤罪に陥れた捜査の在り方も大きな問題となった。
10年11月、当時の柳田稔法務大臣が「検察の在り方検討会議」を設置。検討会議は翌11年3月の提言で、密室での取り調べとそこで作成される供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方を抜本的に見直し、制度としての取り調べ可視化を含む、新たな刑事司法制度を構築するよう求めた。
この検討会議を引き継いだのが法制審議会の「新時代の刑事司法制度特別部会」だった。
法務省関係者によると、法制審議会は民法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法などの基本法の整備・改正について、法務大臣から諮問を受け、調査審議のうえ、答申する機関。答申に基づいて法案が策定されるので、審議会や部会の委員はいわゆる有識者もいるものの、法曹三者(裁判官、検察官、弁護士)と法律学者が中心という。
ただ今回の特別部会は設置の経緯もあり、村木さん本人に加え、痴漢冤罪を描いた映画『それでもボクはやってない』の監督周防正行さんも委員となった。
村木さんは12年1月の第6回会議で、①取り調べや供述調書に依存してきた刑事司法に対する信頼が損なわれていることが出発点、②冤罪は無実の人を罰するだけでなく、真犯人を取り逃がし、世の中に間違った情報を流して油断させる、治安維持にも最も悪いこと、③人間には限界があることを前提とした制度作り――の各点を指摘した。
周防さんも日本の刑事司法の問題点として「調書裁判」、罪を認めるまで身柄拘束が続く「人質司法」、検察側にすべての証拠を開示する義務がなく、被疑者・被告人に有利な証拠を隠すことができる現行制度の三つを挙げ、その上で「軽微な事件での冤罪は数多く存在するのではないか」と主張した(11年7月の第2回会議)。
法務省関係者によると、2人は全事件の取り調べ可視化や検察側の全証拠開示を求め、日弁連の委員らも同調したが、刑事法学者の井上正仁東大名誉教授、酒巻匡京大教授、椎橋隆幸中大教授の3人が反論し続けた。
井上教授は「詳細にわたる事実を解明、認定するのは本人の供述によらない限り十分にできない」(第2回会議)と言い放った。酒巻教授は、欧米で取り調べの可視化などが常識となっていると紹介されると「米国なら米国、英国なら英国、ドイツならドイツの、それぞれの全体のシステムの中で動いているので、その動き方に十分留意して検討を加える必要がある」(第6回会議)と抵抗した。
警察庁の委員らの抵抗で、可視化の対象は検察官が取り調べる全事件にする案が出た時は、酒巻教授が「法律的な整合性の説明が不可能」(今年4月の第26回会議)と切り捨てた。
また酒巻教授が司法制度改革推進本部の検討会委員として、制度設計に関わった現行の限定的な証拠開示は「重大明白な欠陥はなく、法改正によって修正すべき点はない」(12年11月の第15回会議)と断じてみせた。
椎橋教授は人質司法について「正しい評価かどうか大きな疑問を持っている。身柄拘束するかどうか慎重に対応されている」(今年3月の第25回会議)とまで言った。
「強要された関係者供述で濡れ衣を着せられ、長期間勾留された上、証拠まで改竄された村木さんの前で、3人はよくそんなことが言えるなということばかり言っていた。自分たちは絶対正しいという、うぬぼれだけで生きている人たちだ」と特別部会のある委員はあきれる。
村木さんら非法律家の委員5人が可視化の範囲をできるだけ広げる案を出したときも、井上教授が「基本法の在り方として不適切」「この特別部会は始まったときからほとんど進歩していない」と一刀両断だった(今年2月の第23回会議)。
今年6月、最高検が参考人の事情聴取などでも可視化を一部試行すると発表したことも影響し、結局、可視化を義務づけるのは裁判員裁判対象事件(最高刑が死刑や無期懲役の罪など)の警察、検察の取り調べと特捜部などの検察が独自捜査する事件の取り調べに限定された。
法務省関係者によると、12年に逮捕された被疑者は約12万人で、うち裁判員裁判対象事件は約4千人。検察独自事件の逮捕は約120人。
一方、現行は組織的殺人、銃器犯罪、薬物犯罪、集団密航に限られている通信傍受の対象には、通常の殺人、詐欺、誘拐、児童ポルノなどが加わる。
さらに汚職、詐欺などの経済事件では、共犯者に関する供述に対し、検察官が起訴見送りや軽い求刑などを約束する「司法取引」まで創設が決まった。
特別部会の委員は部会長の日本たばこ産業顧問を含め26人。最高裁、法務省、警察庁の各刑事局長、元検事総長、元警察庁長官、元日弁連会長らも委員だ。このほかに十数人の幹事がいる。
「日弁連は被疑者国選弁護制度の対象拡大や検察側証拠の一覧表開示が決まったことから、可視化では矛を収め、周防さんたちはハシゴを外された。御用学者3人に加え、冤罪などあり得ないとばかりに可視化や証拠開示の必要性を否定した被害者団体の委員が当局と一体だった」と全国紙記者。
法務省幹部は井上教授らのことを「最強の太鼓持ち」と評しているといい、記者は「想定通りに終わり、捜査機関は喜んでいる。御用学者や被害者団体の委員は利用され、かわいそうな面もある」と話している。