首相は「オーウェリアン」か

首相の言動を適切に論評しないマスコミ。政権に迎合する姿は見苦しい。

2015年6月号 POLITICS
特別寄稿 : by 大塚耕平(参議院議員 民主党政調会長代理)

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安倍晋三首相訪米での米国へのコミットメントが日本の未来に吉と出るか、凶と出るか。答えは後世に委ねられる。

訪米に合わせ、日米両国は防衛協力ガイドライン改定に合意した。翌日の新聞の見出しは「日米、世界で安保協力」。驚きである。地理的制約を自らなくし、まさしく世界のどこででも日米が協力して対処することを約束してしまった。

ガイドラインを合法化するための安保法制見直しはこれからである。そもそも法案の閣議決定前であり、国会にも未提示だ。安倍首相は米国議会での演説で、夏までに法案を成立させると口約束した。いったい、どこの国の首相であろうか。もはや日本は法治国家、独立国の体をなしていない。

鉄則破りの「英語」演説

閣議決定による憲法解釈変更という蛮行を行った安倍首相にとって、「自分が秩序である」と言わんばかりだ。

閣議は、憲法の下にある内閣法に定められた組織である。閣議の職権は内閣法に列挙されている。憲法解釈変更は職権に含まれていない。当たり前である。憲法秩序の中の存在に過ぎない閣議が、憲法の根幹に関わる解釈を変更できるわけがない。

加えて、米国議会での演説を英語で行ったことは不適切だ。母国語で演説するからこそ、翻訳とのギャップを解釈やその後の追加的対話で補いうる。外交の鉄則である。

英語を母国語のように駆使できるバイリンガルであるなら一考の余地はある。選択した単語や文章の意味や語感を正しく理解できるからだ。

それにしても、安倍首相の言動を適切に論評しないマスコミの姿勢は憂慮に堪えない。報道内容に過敏に反応し、圧力をかけてくる安倍首相に迎合する姿は見苦しい。

最たる例は、安倍政権発足から1年後の2013年12月18日。天皇陛下の誕生日に際したご発言をNHKが報道しなかったことだ。「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました(原文ママ)」との陛下のご発言をNHKが全く報道せず、多くの抗議が寄せられたと聞く。

今年2月20日の皇太子殿下の誕生日に際してのご発言も同様だ。「戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています(同上)」との殿下のご発言も報道しなかった。NHK出身の池上彰氏も自身のコラムで「皇太子の憲法への言及なぜ伝えぬ」と指摘している。

仮にNHKに他意がなくても、「政府が『右』と言っているのに『左』と言うわけにはいかない」と公言する人物を会長に就任させているので、意図的な対応と思われても仕方ない。こういう不信感を国民が抱かないためにも、だからこそ、首相たるもの、自分に従順な者ばかりを公職につけてはならないのだ。

それでも、安倍首相に指導者としての深みが感じられれば静観してみようという気にもなる。しかし、国会で直接質疑を行い、答弁ぶりや態度を身近に見ているひとりとしては、不安を感じざるを得ない。

指導者たるもの、いかなる意見や批判も受け止めるという度量が必要だ。しかし、人間、痛いところをつかれると反論するものである。

安保法制見直しの内容を「戦争法案」と評した国会議員に対し、表現の変更を求めるに至っては常軌を逸している。自らの提唱する積極的平和主義が平和に貢献できると信じているならば、「平和法案」と言い換えて議論するぐらいの余裕がほしい。

日本の「ビッグ・ブラザー」?

自衛隊の活動に地理的制約をなくし、集団的自衛権を行使できるようにすることの危険性を安倍首相自身も認識しているからこそ、過敏な反応になる。方便を弄することなく、危険性を認めたうえで、正直かつ論理的に議論すべきである。

思い起こせば、昨年1月22日のダボス会議で、現在の日中関係を第1次世界大戦直前の英独関係に例えて物議を醸した。英紙フィナンシャル・タイムズは「何度もダボス会議に参加してきたが、最も不安にさせられた経験だった」との記者の感想を伝えた。英国放送協会(BBC)は「衝撃的だ」と論評した。

「真意が正しく報道されていない」と抗弁するのではなく、真意を的確に表現できない自分自身に謙虚に向き合う姿勢こそが、指導者としての資質であろう。

強引に政策を進め、マイナス面に目を向けない姿勢は、経済にも及んでいる。

アベノミクスの中心である日銀の異次元緩和は、円安、株高を強引に実現した点は結果論としては評価できるが、財政ファイナンスとなっている点や将来の混乱(金利高騰、円暴落)の潜在的蓋然性を高めている点に向き合う謙虚さがない。

事態を理解している日銀黒田東彦総裁は、2月12日の経済財政諮問会議で突然発言し、国債の信用リスクが国際決済銀行(BIS)で検討されていることを明らかにしつつ、財政危機に言及したそうだ。しかも、黒田発言の事実及び内容に関して箝口令が敷かれたという。

教育の分野でも憂慮すべき事態が進んでいる。義務教育の教科書検定に強引さが目立ち始めているうえ、果ては大学にも国旗掲揚を強制する動きになっている。安倍首相の辞書には「大学の自治」という言葉がないのであろう。

今や、日本の現状は英国作家ジョージ・オーウェルの名作『1984年』を彷彿とさせる。全体主義的社会を描いた同作品の舞台となっている国では、思想が管理統制され、マスコミ及びITシステムによって国民生活全体が体制側に監視されている。

「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる権力者の肖像と「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」という三つのスローガンが街中に掲げられている。 「戦争は平和である」と聞くと「積極的平和主義」を連想してしまうのは筆者が国会議員だからだろうか。

英語の「Big Brother」が「独裁者」の隠語になったのはこの作品が契機である。同作品は70以上の言語に翻訳され、全体主義的・管理主義的な思想や社会のこと、あるいはそれを指向する人を「オーウェリアン」と呼ぶようになった。安倍首相がオーウェリアンでないことを願いたい。

著者プロフィール
大塚耕平

大塚耕平(おおつか こうへい)

参議院議員 民主党政調会長代理

1959年生。早大博士。日本銀行出身。内閣府副大臣・厚生労働副大臣などを歴任。早大・中大大学院客員教授。

   

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