「歴史」に学ばぬ横浜カジノ構想

「関内大火」の教訓を忘れたか──。山下埠頭はカジノどころか、集客施設に適していない。

2015年7月号 LIFE

  • はてなブックマークに追加

山下埠頭(横浜市中区)

「賢者は歴史に学ぶ」とは、政治・経済の場面で広く受け入れられている名言である。

しかし、公務員や政治家、マスコミにこの言葉は通用しないらしい。政府が成立を急ぐ安保関連法案は、「存立危機事態」との名目で「自衛という名の武力行使」を正当化する。石油確保を目的に機雷掃海を可能にする方針だが、戦時の機雷掃海は武力行使に当たる。

「歴史」に学べば、資源確保を名目にした武力行使は「いつか来た道」。日本が太平洋戦争に踏み切ったのは、米国などによる石油禁輸(ABCDライン)を打開する「自衛」のためだったという説がある。保守派が「侵略行為」を認めないのも、この「自衛論」に依るところが大きい。だから、保守派の論理からしても機雷掃海は、忌むべき行為のはずで、保守本流を自認する安倍晋三首相は自家撞着に陥っている。

遊女400人焼死の悲劇

これは国政の話だが、事情は地方行政も同じだ。特に横浜市では、歴史を無視した無知な政策実行が相次いでいる。

「横浜カジノ構想」が好例だ。横浜市港湾局は4月、市中心部の山下公園に隣接する山下埠頭の再開発基本計画をまとめた。戦後復興期の物流を支えた重要な港だが、規模が小さい上にベイブリッジの下を通る必要があり、大型船は停泊できなかった。そこで、山下埠頭を観光地に生まれ変わらせる計画だ。

マスコミや世論は、計画の正式発表前から賛否両論の百家争鳴状態だった。理由は、この場所にカジノを含む統合型リゾート(IR)を誘致する構想が事前に報じられていたからだ。

反対派は「ギャンブル依存症が増える」「治安が悪化する」と触れ回り、賛成派は「パチンコで免疫ができているから依存症は増えない」「社会的費用よりも経済効果が上回る」と反論し、「独自財源ができる」「賑わいが生まれる」と喧伝する。どちらももっともらしいが、社会的損失や利得などの試算は、前提の置き方次第で恣意的に結論を出せるため、互いの議論は交わることがない。

一方、横浜の「歴史」をひもとけば、「横浜カジノ構想」の根本的欠陥が分かる。勉強不足の役所、地方議員、マスコミは歴史が証明する問題点に気づかない。だから、この場で山下埠頭はカジノどころか、集客施設に適していないことを示そう。

横浜には江戸時代末期から外国人が集まりだした。JRの駅名「関内」とは外国人居留地の「関所の内側」という意味。黒船来航時の関内地区は海で、外国人による幕府への影響を最小限にとどめるため埋め立てたのが、居留地の始まりで、入り口は関所で厳重に管理された。

ただ、幕府には「舶来物」にも関心があり、関内には外国人を呼び寄せる二重基準を採用。開港した1859年、現在は横浜スタジアムがある横浜公園の場所に、外国人専用の大規模集客施設を建設した。江戸時代版IRといえば、「遊郭」である。この「港崎(みよざき)遊郭」に遊女以外で入れる日本人は「関内」の一部の人だけだった。80軒ほどの建物に、1千人以上が働いたとされる。ただ簡単な出入りはできず、遊郭の周囲は堀と高い壁で囲い、出入り口は一カ所しかなかった。

港崎遊郭ではこの構造があだとなった。1866年、遊郭などが全焼する「関内大火」が発生。入場者規制と狭隘な入り口のせいで消火・救助活動が遅れ、遊女4‌00人以上が焼死した。

その反省で堀は埋められ、横浜公園は避難所になった。大火の名残は、今でも横浜公園に残る。茂みの中に、遊女の慰霊のため作られた古い灯籠が立っている。横浜公園を深夜に歩くと、灯籠付近に幽霊が見えたとの心霊話がいまだに語られているほどだ。遊郭はその後、移転を繰り返し最終的に現在の伊勢佐木町付近に落ち着いた。現在でもこのあたりに風俗店が多いのは、この歴史による。

関内大火の教訓は、閉鎖空間では出入り口は広く複数設け、緊急時に誰でも入れるように入場者をあまり規制しないことである。では、山下埠頭の「カジノ計画」はどうだろうか。

「港崎遊郭」の構造と酷似

基本計画によると、山下埠頭の中心部は「大規模施設」となっている。明言はしていないが、カジノを想定しているのは明らか。海沿いは「文化、芸術、宿泊ゾーン」などを想定。最も陸地側は交通ターミナルにする。

山下埠頭は陸地側に向けて幅が狭くなる逆三角形。入り口は治安維持と入場者規制のためゲートを設けるから、地形的にも構造的にも入り口は狭隘になる。反対側は海に囲まれている。

あれ、何かに似ていないか?そう、大惨事を起こした港崎遊郭の構造にそっくりなのだ。

47ヘクタールの山下埠頭で、コンサート会場並みに客を受け入れるとすると、2万人以上がひしめくことになる。火災などの災害があれば、その客が狭い一カ所の出口からスムーズに逃げるのは不可能だ。それは4年前の東日本大震災でも証明されている。海に飛び込む者も出てくると思われるが、冬なら短時間でも海に浸かれば命の危険が高まる。出入り口に人が殺到し、圧死者が出る懸念もある。

救助車両の到着も遅くなる。市は「あの付近は片側2車線だから大丈夫」と説明するのだろうが、全く実態を見ていない。左側車線には違法駐車が多い上、片側1車線をつぶして時間貸し駐車スペースにしている場所もある。さらに近年は観光客が増え、滞留する大型バスも多い。実態は「常に1車線」なのだ。山下埠頭は市街地にあり、道路拡幅や駐車場の増設は望めない。大規模な地下道を掘る解決策もあるが、費用は膨大で非現実的。災害時、山下埠頭付近に車両があふれて、交通が麻痺するのが目に見えている。

客の逃げ遅れと救助の遅滞が重なれば、多くの犠牲者が出る。山下埠頭は構造的に、大勢の人を入れてはいけないのである。これを解決するには、海側に橋梁などを追加して避難路を反対側にも設け、陸側に向けて狭くなる地形は埋め立て、道路は拡幅しなければならない。そこまでしてIRを建設する利点があるのか。「歴史」は重大な教訓と問い掛けを与えているのに、マスコミも議員も指摘しないし、もちろん行政も応えようとはしない。簡単な郷土史学習で導き出せるのだから、災害時に「想定外だった」では済まされない。

歴史に学ばぬ愚者は、必ず同じ過ちを犯す。

   

  • はてなブックマークに追加