ジミー・ライ(黎智英) 氏
中国を批判する香港メディア「アップル・デイリー」創業者
2017年10月号
GLOBAL [インタビュー]
1948年、中国広東省広州市生まれ。60年、12歳で香港へ密航し80年にアパレル小売りチェーン、ジョルダーノを創業。90年に創刊した雑誌「壹週刊」とその母体Next Media(現在はNext Digitalと改称)の経営に専念。94年にはアップル・デイリーを創刊。反中国政府、民主化支持の姿勢を貫く。
中国に返還されて20年の香港は、党大会(19大)を控え強圧姿勢を強める習近平政権の圧力で報道・言論の自由が大きな危機にさらされている。中国に最も批判的な大手日刊紙「アップル・デイリー(蘋果日報)」を中心にしたNext Digital(壹傳媒)グループは、傘下4雑誌を売却、本丸である同紙の大規模な合理化にも着手した。グループを創業した立志伝中のジミー・ライ(黎智英)氏に香港の今を語ってもらった。
――大胆な経営判断をされましたね。
ライ 香港と台湾を併せ毎年1億香港ドル(約14億円)の赤字をここ数年計上しています。発行部数が20万部を超えていた「壹週刊」も現在では3万そこそこ。その上、広告が封殺されて収入はさらに減っています。かつて「壹週刊」は大きな影響力を持っていました。特に政治に関しては。しかし、紙媒体の凋落から影響力が激減。4雑誌の売却を決断せざるを得なかったのです。
合理化は長く温めていた構想でした。紙媒体が凋落する中で本丸であるアップル・デイリーをどう守っていくか、それが経営の一線を退いたとはいえ私の責任です。支出圧縮へ雇用形態を変更したのです。
エンターテイメント、スポーツ、競馬などに関してはこれまでの社員記者を契約制にして外部から原稿を書いてもらう。香港、台湾とも既に25%をアウトソーシングしました。最終的には75%程度になるでしょう。しかし、グループの中核である政治報道だけは社員を4分の1まで減らしても守り抜きます。またアップル・デイリーのウェブは香港で最も閲覧が多く、広告単価も数年のうちには上昇するでしょうから、こちらの利益からも本丸を守っていけるのではないかと考えています。
――アップルの政治報道と言えば反中国共産党、反中国政府が売り物。これはライさんの前半生に根ざしたものですね。正に裸一貫、12歳で香港へ密航し、紡績工場の不法滞在の雑役工になってから、株売買などで資金を蓄えてアパレル小売りチェーン「ジョルダーノ」を創業し、香港第二の新聞・雑誌メディアを育てあげました。
ライ 大陸で共産党にどんな経験をさせられたのかは、もちろん重要な関係があります。しかし、それ以上に重要なのは香港に来た後、香港という自由な天地が着の身着のままで密航した自分に何を与えてくれたのか、ということです。この自由な天地は何とありがたく得難いものであるか。私には思想と価値観、そして責任があります。正しくないものには反対を貫かなくてはなりません。さもなければ中国に前途はありません。もしも私たちが立ち上がって共産党独裁に反対し、戦うことがなければ、自由を手にすることはできないのです。
――1989年の天安門事件で民主化学生を支持したため、中国政府から国内店舗閉鎖などの圧力を受けて、ジョルダーノは売却を余儀なくされた。でも、メディアに専念し、アップル・デイリーは反中国政府を前面に打ち出し、スキャンダルを重視した編集方針と全頁カラー紙面は多くの読者を獲得した。香港の新聞のあり方を変え、2003年には台湾にも進出した。にもかかわらず、香港は自由が年々制限されていくばかりです。
ライ 返還後も、民主はなくても法治と自由は守られてきました。しかし、この1、2年、特に梁振英が特別行政区長官になってから、大陸のやり方がますます露骨になってきました。中国とビジネスをしたいのなら中国に反対できない、させない。明確な指示があるわけではありませんが、共産党独裁に反対する我々の媒体は広告が掲載されないことになります。私たちは60%の広告を失いました。先ほど言った広告の封殺です。
――香港特別行政区長官選挙の制度変更をきっかけに爆発した14年の雨傘運動の際には、紙面だけでではなく個人的にも運動を支援されました。
ライ 香港の民主化勢力には金銭を含めた物心両面の支援をしていますが、それは彼らが社会正義のために奮闘し、私の信念と一致しているからです。私はそのリーダーとなって何かを決めたいのではありません。何かあれば、自分で文章を書きます。メディアとして貫くべきはこの社会に自由な声を存在させること以外にはありません。そのためには自分のできることを全て捧げ、自分の財力、能力、最後は生命までかけるつもりです。
――「一国二制度」が有名無実化していく香港と中国の今後はどうなりますか。そして、その中でアップル・デイリーとライさんご自身は?
ライ 香港が衰退していくことは間違いありません。頭上にある刀がゆっくりと振り下ろされてきている恐怖を覚えます。その速度をどれだけ遅らせることができるのか、それが香港の課題です。中国は国際公約だった一国二制度などもはや気にもかけていません。香港は中国の一地方都市になっていくより他ないのだと考えています。悲観的にならない材料は何一つありません。
しかし、今立ち上がって戦っている若者に対して、我々は失敗することが分かっていたとしても戦いを続ける責任があります。何故なら私たちは成否のために戦っているのではなく、誤ったことを正すために戦っているからです。私はすでに70歳、最後まで戦う覚悟です。この天地が私の滞在を許さなくなったら去るだけです。
――去るなんてありうるのですか?
ライ その日は必ず来ますよ。雨傘運動の指導者3人はすでに獄中にあり、彼ら(中国政府)はゆっくりと言論空間を狭めてきている。そして、最後のターゲットは私です。彼らにとって私とグループは面倒な存在で、民主化、雨傘運動に寄付をすることが大きな問題になっていますから。しかし、香港にいられる限り、戦いをやめるつもりは微塵もありません。