病める世相の心療内科⑰「バナナの皮」で不安に駆られる女

2018年6月号 LIFE
by 遠山高史(精神科医)

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精神を病む人々は、しばしば自分のせいではないことで、罪を負わせられることに著しい不安を示す。その不安は、関係のない出来事にあえて自分を結び付けるように働くことがある。たとえば近所で火事があると、自分が火をつけたと疑われることから逃れるため、現場をわざわざ迂回して通ろうとする。次第に自分が放火犯と噂されていると思い込み、引きこもるようになる。こういう思い込みは「被害関係妄想」と言い、特定の精神病に特有の症状とされるが、最近さまざまな精神的な危機状況で起こりやすくなっている。悪いことが起こるとその情報を自分に引き寄せ、あり得ないような関係付けをしてしまうのである。

こういった心理は、誰しもの深層心理にある不安によって引き起こされる。社会が複雑化しすぎて、善悪の判断が難しくなり、時にはメディアの増幅機能によって、些細なことで思わぬ責任を背負い込まされることもある。そのことが人々の心の底の不安を増大させている。そもそも、起きてしまった事件について行われる裁判も、提示された証拠を基に判決が下されるが、提示されない真実は無数にあり、新しい証拠が加われば事件の責任の所在も変わる。良かれと思ってしたことで訴えられ、予想外の責任を取らされることもある。そこで、予めできる限りの予防線を張ることになる。昨今の契約書が、うんざりするほど細かく取り決めてあるのも、事が起きた時に責任から逃れるための工夫であり、社会の複雑化の表れであろう。

40過ぎの真面目な会計係の女性は、自身のパソコンがウイルス感染して会社の情報が漏れ、ひどく落ち込んでしまった。ITの取り扱いには自信があり、今まで真面目に一生懸命やってきた。それが、たかだか1回のクリックで感染を許してしまったことで自信喪失し、過剰な責任を感じるようになった。

幸い情報漏れは軽微で済んだが、一歩間違えれば大規模な顧客情報漏れを起こしていた。責任の重大さに打ちのめされた彼女は、パソコンに触れるだけで心臓がバクバクするようになり、キーボードが濡れるほど手汗をかくようになった。そして、通りに落ちている「バナナの皮」にも不安を感じるようになった。拾って近くのごみ箱に捨てたなら、所定のごみ袋を使わず、勝手に他の住人のごみ箱に捨てたと責められるだろう。かといって、そのまま放置し、もし老人が滑って転んだら、拾わなかったことを咎められかねない。近頃、監視カメラもついているのだ。結局、彼女はバナナの皮を拾って家に持ち帰らざるを得なかった。

ばかばかしい関係付けともいえるが、たまたま遭遇したバナナの皮という些細な情報に囚われ、自らその責任を拾ってしまったのだ。複雑化した今の社会では、これに似たジレンマが至るところで起きている。すでに医療の現場でも、責任を問われることを恐れ、デフェンシブ・メディスン(防衛的医療)の傾向が色濃く出始め、過剰な検査を行って客観性を装える、データとマニュアルだけでの診療が進んでいる。

人々はこの豊かに見える時代に何か不安を感じ始めている。ほんの些細なことで大きな罪を負わされ、給与や地位、生活の全てを奪われるかもしれない恐怖心を抱いている。そんな深層心理があり得ない「妄想」を引き起こす。

著者プロフィール

遠山高史

精神科医

   

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