2018年8月号
連載
by 知
記者会見する角田由紀子弁護
「ある出来事を捉えるとき、どんな言葉を使うかで、問題は全然違ってしまう。働く女性の性的虐待を表す言葉として『セクシャル・ハラスメント』という言葉を獲得したのは非常に良かった。(略)その名前がない時代、被害女性は『人間関係がうまくいかない』と言って会社を辞めていった」
(角田由紀子弁護士、6月25日、日本記者クラブの記者会見で)
明瞭な言葉には羽根が生えている。人口に膾炙する伝播力を言葉そのものが備えている。
働く女性が職場で受ける性暴力が「性的嫌がらせ」と呼ばれていた頃、被害女性は主張自体うまくできなかった。それが1989年、週刊誌が「セクハラ」なる言葉を使いだすと社会は広く受け止め、この年、角田さんは「セクハラ裁判」で初の勝訴を獲得する。
司法の場では以降、職場での性暴力は民法709条の不法行為と認定され、同715条の使用者責任が問われる流れが定着。近年も、女性に対する性暴力については、「DV」や「AV出演強要問題」など事態を正確に表す言葉が編み出され、少しずつ解決の道を進んでいるかのように見える。
ただ、多くのセクハラ裁判で不法行為認定を勝ち取ってきた角田さんはこの流れに安住していない。
若い女性がセクハラ被害を受けた場合、入社2、3年でキャリアをポキンと折られるのに、裁判に勝っても200万円程度もらえばそれで終わり。和解だと職場の改善を盛り込む余地はあるが、判決の場合、裁判所は職場の改善を命じることはなく、会社はお金を払えばそれで終わりにできるのだ。
セクハラの防止・根絶のためには、米国のように、セクハラも含む性暴力は性差別であると法に定めることが必要と考えるようになったと角田さん。次に必要なものは、新たな法だろうか、さらなる言葉だろうか。