イーロン・マスクは生き残れるか

累積赤字は約54億ドルに達し、テスラ創業以来初めて9%、3千人余の人員削減の瀬戸際。

2018年8月号 BUSINESS

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テスラのイーロン・マスクCEO

Photo:AP/Aflo

米自動車産業史は名だたるチャレンジャーの夥しい屍で彩られている。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でタイムマシとして使われた「DMC−12」の開発で知られるジョン・デロリアン氏はゼネラル・モーターズ(GM)の元副社長。将来のGM社長候補と目されていたが1973年に辞任し、北アイルランドにDMC(デロリアン・モーター・カンパニー)を設立し、81年には両扉が鳥の翼のように跳ね上がるガルウイング式のスポーツカー「DMC−12」を発表した。1台2万5千ドルの車は第2次石油危機やその後の景気後退で売れ行きが伸び悩み、デロリアン氏自身は麻薬のおとり捜査(後に無罪釈放)に遭うなどして会社は倒産した。

苛立ちは焦りの裏返し

モデル3の収支計算は?

フォードを経て第2次大戦後、タッカー・コーポレーションを興したプレストン・トーマス・タッカー氏は47年、モダンな流線型ボディーにヘリコプター用の水平対向エンジンをリアに搭載した「タッカー・トーピード」を発売した。この車の出現を脅威に思った自動車大手の妨害により、たった51台生産しただけでタッカー社は倒産してしまった。大企業の妨害で裁判にかけられたタッカー氏は「私は生まれたのが遅すぎた。一匹オオカミや夢見る人間は突飛な発想を笑われ、後に世界を変える名案だと分かっても、既に官僚主義で潰されている」と弁論した。

電気自動車(EV)大手、テスラを率いるイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)も同じ心境だろう。高級EVというカテゴリーを独力で開拓し、熱狂的なファンに支持されているにも関わらず、量産型EV「モデル3」の生産遅延や、運転支援機能「オートパイロット」作動中のテスラ車死亡事故などでメディアから批判され続けているからだ。

5月23日には「人々がすべての記事についてどの程度が真実なのかを評価し、ジャーナリストや編集者、そして出版社の信頼性をスコア化して見られるようなサイトを作ろうと思う。サイトの名前は『Pravda(プラウダ)』と呼ぶ」とツイートし、アンケートでプラウダのようなサイトが必要だと思うかどうか集計を始めた。

苛立ちは焦りの裏返しでもある。米消費者同盟は6月8日、テスラに対し「オートパイロットの欠陥を修正するように要請した」(ロイター)。米運輸安全委員会(NTSB)は3月に米カリフォルニア州で起きたテスラ車の死亡事故について、ドライバーが事故直前の6秒間にハンドルを握っていなかったという中間報告を公表している。ドライバーは走行中にハンドルを握るよう促す視覚的な警告を2回、警報音を1回受けていたが、警報があったのは事故の15分以上前だったという。こうした点を米消費者同盟は指摘している模様だ。

自動運転や運転支援機能は自動車とコンピューター、エレクトロニクスの各業界が血眼になって開発を急ぐ分野。高性能のスーパーコンピューター投入は常識だが、スパコン世界最大手である米クレイ社のピーター・ウンガロ社長は「テスラはクレイのユーザーではない」(日経産業新聞)と明言した。

テスラの牙城だった高級EVの領域に既存の自動車メーカーが雪崩を打つように参入しようとしていることも懸念材料だ。英ジャガー・ランドローバーは18~19年に、独ポルシェは20年までに発売する。いずれも1千万円超の高級EVだ。

ポルシェのEV「ミッションE」は1回のフル充電で走れる航続距離が500キロメートルで、3.5秒で時速100キロメートルに達する。ジャガーは18年から19年初めにEV「Iペース」を発売する。こちらも航続距離は約500キロメートル。価格は米テスラの「モデルX」と同程度の1千万円強の見通しだ。英アストンマーティンも19年、高級EV「ラピードE」を発売する。さらにメルセデスやアウディ、BMWが後に続く構えで、ベントレーやロールス・ロイスも参入を計画している。

最後の隠し玉「スペースX」

「まだ周囲の人が持っていない高級EVのテスラ車に乗っている」という優越感と、EVであるかどうかは関係なく「ポルシェに乗っている」「ベンツに乗っている」という満足感との戦いがこれから始まる。「あと5~6年もすればテスラは特別な存在ではなくなっているだろう」と見る評論家もいる。

では5~6年先もテスラは生き残っているのか。メディアが問題視するのが量産型EV「モデル3」の生産体制確立だ。1年前に生産を開始して以来、週5千台の生産を目標に掲げ、2回延期してきた。直近では6月30日を期限に設定していたが、若干後ろにずれ込み、7月1日午前5時ごろ、遂に週5千台を達成した。

マスク氏は工場の外に巨大なテントを張り、急遽設置した3番目の生産ラインもフル稼働させた。従業員が長時間勤務をこなす中、マスク氏は工場の床で寝泊まりしていた。これを美談と受け取っていいものか。テントの下に急ごしらえした生産ラインで品質が維持できるのか。5千台の目標達成だけを念頭に置いて生産設備を追加発注すればコストは間違いなく上昇する。ゴールは5千台ではなく、その販売で利益を上げることである。さらに8月終盤までに週6千台の生産を目指すと表明したテスラだが、果たして収支計算ができているのか。

テスラの時価総額は540億ドル(7月5日時点)でGMと肩を並べる。だがモデル3の量産体制整備で16年末以降、3カ月ごとに10億ドル規模の投資を続けてきた。さらにマスク氏が買収した太陽光発電会社「ソーラーシティ」の財務立て直しもあって100億ドルを超える負債を抱え込んでいる。そのうち12億5千万ドルの償還期限は来年だ。ブルームバーグは「テスラの赤字は累計で約54億ドルに達している」「向こう4四半期で赤字がさらに13億ドル生じる可能性がある」と報じた。

テスラは6月12日、9%に当たる3千人余りの人員削減を発表した。会社設立以来最大の人員削減だ。2年前にマスク氏が26億ドルで買収した太陽光発電のソーラーシティ部門は縮小を余儀なくされると、ロイターは報じた。だが、これだけでは足りない。最終的にはマスク氏が起こした宇宙開発ベンチャー「スペースX」に手をつけざるを得まい。企業価値が210億ドルと評価される最後の隠し玉だ。

マスク氏は乗り切れるかどうか。三途の川の向こう岸でデロリアン氏とタッカー氏が手招きしている。

   

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