不祥事を機にCEOを降りる樋口会長に憂いはない。継承者を見極め、後事を託したから。
2019年8月号
BUSINESS
by 千葉利宏(ジャーナリスト)
眼鏡に適った「継承者」芳井敬一社長
写真/平尾秀明
「株主の皆様に多大なるご迷惑とご心配をおかけした」――6月25日、大阪市で開かれた大和ハウス工業の株主総会の冒頭で、芳井敬一社長(61)が一連の不祥事について陳謝し、深々と頭を下げた。
同社では今年3月、中国の関連会社で不正経理問題が発覚。4月には国土交通省からアパートや戸建て住宅で建築基準法不適合問題が公表されるなど、不祥事が相次いで表面化した。積水ハウスの地面師事件やレオパレス21の施工不良問題などのように経営問題に発展してもおかしくないところだが、燃え広がらずに収束しそうな気配だ。
総会では、創業者・石橋信夫氏が2003年に81歳で亡くなった後、経営を引っ張ってきた樋口武男会長(81)から代表権が外れ、芳井社長がCEO(最高経営責任者)に就任。再発防止策として社長直轄の「法令遵守・品質保証推進本部」を設置するなど、今回の不祥事を機に、むしろ芳井体制の基盤固めが一気に進んだ模様だ。
経営説明会後、記者に囲まれる樋口武男会長。CEOを降りても後顧に憂いはない。
2年ほど前に足を悪くして体力の衰えが見えていた樋口会長が経営の第一線から退くタイミングと重なったことで、今回の経営責任を取ったカタチになったことも寄与したといえるだろう。加えて、17年11月に就任した芳井社長が、これまで手を付けられていなかった技術的課題の解決を進めた手腕を評価する声も聞かれる。
日本では建築設計業務に十分な報酬が支払われないために、設計の品質管理に問題があるといわれてきた。工業製品では設計したあとに試作品を作って性能や安全性などを検証するのが一般的だが、建物は建築確認審査を通った設計図面がそのまま施工され、発注者に引き渡される。本来なら建築設計の品質管理は非常に重要であるにもかかわらず、設計者個人に任されているのが実態だ。
建築設計プロセスでは、意匠設計者が設計した図面を構造設計者と設備設計者が異なる角度から検証を加え、さらに建築確認審査機関がチェックすることで一定の設計品質を担保してきた。05年に発覚した耐震強度データ偽造事件(いわゆる姉歯事件)のあと、07年の建築基準法改正で国は建築確認審査を大幅に強化、構造設計の二重チェックを行う構造計算適合性判定機関が新たに設置された。その結果、新築着工件数が大幅に減少し、国内景気も落ち込んだ。このことは品質チェックの強化に対応できなかった事業者が少なくなかったことを示している。
今回、大和ハウスで発生した「型式認定」の問題も、設計段階での品質チェックが絡んでいる。型式認定制度は、構造計算を省力化するために導入され、仕様に基づいて設計を行った場合、構造計算が省略できるので構造設計者のチェックが入らない。建築確認審査でも、型式認定を取得していれば審査が省略できる。07年の建築基準法改正でも、制度は見直されず、基準法改正の影響を免れていた。今回の問題では、型式認定を受けていない仕様を担当者が「受けている」と誤認し、チェックを受けないままになっていた。
日本のプレハブ住宅メーカーは、型式認定を前提とした設計システムを構築してきたため、00年代に入って世界の潮流となっている三次元設計システム、BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)の導入で大きく出遅れた。BIMは建築確認を円滑にするための活用も期待できるが、19年6月に国交省が日本での本格的なBIM導入を促進するため「建築BIM推進会議」を立ち上げ、国を挙げて普及に乗り出したばかりだ。
大和ハウスでは10年以上前からBIMの研究は行っていたが、本格導入を始めたのは芳井社長が就任してから。東京での就任会見で「働き方改革」の推進を表明した芳井社長に、筆者は生産性向上に向けた具体策としてBIM導入について質問したことがある。その時はBIMについて詳しく知らない様子だったが、18年度に入るとBIM移行ロードマップを策定して導入へと一気に舵を切った。1年後には大手ゼネコンに先駆けて構造設計BIMの建築確認申請を日本で初めて実現するなど急ピッチで導入を進めている。
国交省が建設技能労働者の処遇改善と働き方改革を推進するため19年4月に導入した就労履歴管理システム「建設キャリアアップシステム(CCUS)」の導入にも、大和ハウスは積極的に取り組んでいる。独自工法のプレハブ住宅メーカーは、自前の技能労働者を囲い込んでいることが多いためCCUS導入には消極的だったが、「大和ハウスが前向きなので他社にも波及して感謝している」(国交省大物OB)との声を聞くほどだ。
大和ハウスでは、創業者の石橋信夫氏が亡くなった後から、3カ年ごとの中期経営計画をスタートした。中計には、必ず「創業者精神の継承」を掲げ、樋口会長は創業者が夢見た売上高10兆円を創業100年目の2055年に実現するべく同社の成長を引っ張ってきた。03年度の売上高は1兆1845億円だったが、15年後の18年度は4兆1435億円となり、規模は3.5倍に拡大した。日本のGDP(国内総生産)が伸び悩む中、1兆円を超える企業で、内需中心にこれほど成長した企業は数少ないだろう。
その間に同社の社長は村上健治氏(71)、大野直竹氏(70)、現在の芳井敬一氏と代わってきた。これを院政と見る向きもあったが、樋口会長は創業者精神の継承者の役割を担う人物を見定めていたと見える。最終的に眼鏡に適ったのが芳井社長であり、樋口会長は引き際を見事に計算していたのではないか。
5月に公表した第六次中期経営計画(19~21年度)では、21年度に4兆5500億円の目標を掲げ、3年間で10%弱の成長をめざす。この成長ペースを今後も維持できれば、55年に10兆円を達成するのも夢ではない。
しかし、この先は人口減少が急速に進み、国が移民政策を進めない限り、国内の建設・住宅市場は大きく縮小していく。これまでの延長線のビジネス戦略で成長を持続するのは極めて困難だろう。以前から芳井社長は海外事業や新規事業の拡大が不可欠と語っているが、果たして成長スピードを落とさずに進められるのか。これまで以上にデジタルテクノロジーを活用してビジネス変革を加速できるかどうかにかかっている。